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一般投稿欄

現政治情勢の特徴、小泉の予防クーデターなど-アルマゲドンさんへ-

2005/08/31 原 仙作

 アルマゲドンさん、読みにくいものとなった私の投稿に感想を寄せていただき ありがとうございます。

 最初に、アルマゲドンさんの誤解を解いておきたいと思います。私は民主党を社会 民主主義政党だとは思っておりません。議論のあってしかるべきところです。当該部 分の表現が不十分なため、アルマゲドンさんのように読むこともできるかと思います が、民主党政権は私の本文では「中間的な政権」にあたるとご理解ください。本文は 次のとおりです。「レーニンによれば、国民の政治意識は一挙には社会主義へと進ま ないこと、そこへ進むためには、国情により、また、時代による相違はあろうが、中 間的な政権、社会民主主義的な政権を国民が体験する必要があると主張されており、」 となっています。

(失望と働きかけと自己変革)
 次にこの政権論に関連して、アルマゲドンさんは細川政権を例に挙げて、次のよう に述べておられます。

「仮に民主党政権が実現しても、何年か後に国民が民主党に失望した後、今度は共産 党へということにはならず、再び自民党へ回帰することは、ほぼ確実ではないでしょ うか。」(「原論文を読んで」党員欄、8月20日)

 アルマゲドンさんが「ほぼ確実」と言うことが、私には不思議に思えます。「国民 が民主党に失望した」時こそ、国民の目が共産党に向くときなのであって、その時こ そ、共産党の議論(民主党ではダメなのだと常々言ってきたこと)の正しさが証明さ れ、国民に真剣に耳を傾けてもらえる機会が到来するのではないですか? ただし、 民主党に失望したからといって、いわば自動的にその国民が共産党の支持者として定 着するわけではありません。共産党の側からの働きかけが不可欠なわけです。つまり、 国民の失望と、共産党の側からの働きかけの両方があって、はじめて、共産党の側へ 向けた国民の政治意識の本格的な変化が開始されるわけで、どちらか一方が欠けてい ては「来るものも来ない」ということになるでしょう。そして、この働きかけは「こっ ちの水は甘いぞ」というだけはダメなのです。その時までに共産党の側が自己変革を 遂げていなければならないのです。
 私の投稿では「受け皿」の問題として触れており、無党派層に毛嫌いされる要因を 払拭していなければならないわけです。現状で票がやってこないのは敵が「うまい」 だけではなく、己の身のうちに「不人気の原因」があり、その原因を国民が共産党を ふり返る前に払拭しておかなければならないのです。共産党の場合、党中央に主要な 原因があるのですが、己の「不人気の原因」を考えることがまったくできていないの です。失礼ながら、それはほとんど「病気」というほどに反省がありません。だから、 正確に言うと、国民の民主党への失望と共産党の側からの働きかけと共産党の自己変 革という三者があってはじめて実現可能となる戦略なのです。

(小泉の「自己変革」=党「改革」)
 小泉を見てください。無党派層を民主党から奪還するために、造反派を切り捨てて 自民党の「自己変革」をアピールしています。世間は民営化法案を通すために造反派 を追放するんだなと思っているようですが、衆議院では小泉・郵政民営化法案は可決 されているのですから、分裂騒動まで引き起こして造反衆議院議員を切り捨て「刺客」 と入れ替えなければならない必然性はありません。造反派追放劇は郵政民営化法案反 対を表向きの理由にした党の粛清=「自己変革」なのです。政権側が政権から転落し ないうちから、このような「自己変革」を行っているのに対し、不人気の共産党の側 はどうでしょうか?
 アルマゲドンさんのいうように「ほぼ確実」になる場合というのは、共産党の側の 働きかけと自己変革がない場合です。それだから、アルマゲドンさんが「ほぼ確実」 と言うのは、この両者を視野の外に置いているからだと思うのです。

(平坦な道ではなかった)
 それから、アルマゲドンさんは細川政権の例を挙げて、国民は自民党へ回帰したじゃ ないかとも述べています。確かに回帰しましたが、アルマゲドンさんがお忘れになっ ていることは1998年の参議院選で共産党が820万票を獲得したことです。自民 党が政権へ復帰する道は平坦だったわけではありません。羽田政権の内部抗争を突い た自・社連合政権(ウルトラ政権)の画策と解体が必要だったわけであり、また、そ の後に必然的に発生する無節操な離合集散の政治過程とその批判・1998年を克服 する必要もあったわけで、2000年の総選挙における謀略ビラ騒動もその一環でし た。共産党の側に視点をおいて言えば、820万票に有頂天になり、その後の発展の ための対策=自己変革を怠ったことが致命傷になったのだと思います。このように概 観すると、票の奪い合いは階級闘争であるのに、自民党の側の知恵と執念ばかりが光っ て見えるのではありませんか?

(選挙戦術は党の内外を考慮して)
 それから、全小選挙区立候補というやり方には反対だと述べておられますが、その 反対理由として、党組織の力量の問題を指摘されています。党員の減少、高齢化など 組織の力量が不足しているというのは、そのとおりだと思いますが、その選挙戦術は 現在の政治情勢と選挙制度の中で政治的機能を発揮するわけですから、やはり、党組 織の内部問題・力量だけを検討して戦術の是非を決めるのは一面的な議論にならざる をえないと思います。

(『現政治情勢の特徴』とは)
 そこで、現在の政治情勢について考えてみたいのですが、アルマゲドンさんの主張 には、何というか、違和感を、根本的なところで誤りがあるというように感じるので す。アルマゲドンさんは次のように述べておられます。

「原氏の『現政治情勢の特徴は国民の多数派が民主党を政権に押し上げ、自民党政権 を転覆させようとしていることにある』という情勢分析には、やはり抵抗を感じざる を得ません。最近の世論調査でも民主党の支持率は意外に低く、何よりも総選挙の最 大の争点の一つである、郵政民営化に関する民主党の対案は、民営化賛成論者にも、 反対論者にも大変わかりにくい内容です。」

 私が「国民の多数派が民主党を政権に押し上げ、自民党政権を転覆させようとして いる」ということに抵抗を感じるとして反対され、その例証として最近の世論調査を あげておられます。
 はじめに、世論調査ということで言えば、ご指摘のとおり、直近では、小泉自民が 民主党を圧倒しています。世論調査というものは、ある一時期(「一瞬」と述べても いいと思いますが)の国民の意識を示していますが、絶えず、その時々で変動してい ます。今回の解散劇では小泉流パフォーマンスが相当に効果を上げており、民主党が 劣勢に立っています。サマワで自衛隊が攻撃され、自衛隊員に死傷者が出るようなこ とが起これば、また、ガラリと変わるでしょう。
 しかしながら、政治情勢の特徴と言うとき、それはある一瞬の政治状況を言ってい るのではなく、一定の期間(ここでは2000年以降)の政治状況を規定している主 要な傾向が何であるか、ということを言っているわけです。それは自民党の衰退とか、 社民、共産の凋落ということではなく、民主党の躍進であり、昨年の参議院選では比 例票で見れば自民を圧倒する第一党の地位に到達してくるわけです。自民の1680 万票に対する民主の2110万票。自民の衰退とか、社民、共産の凋落も一つの特徴 ではありますが、これらの特徴はすべて民主党の躍進に規定されて発生している現象 なわけです。それだから現在の時機に発生する国内の大きな政治的出来事は、ことご とく、この『現政治情勢の特徴』の見地から見るときにだけ、その真相、その政治的 本質を明らかにすることができます。

(小泉の予防クーデター)
 今回の小泉の解散劇もその根本動機はここにあると私は考えています。すなわち、 民主党の躍進という政治の流れを逆転させる小泉流「回天」の方策、民主党に奪権さ れる前に激烈な政治手段を行使し、政権からの転落を防止するという、いわば、「予 防クーデター」を郵政民営化法案の否決という口実で敢行しようとしているわけです。 小泉内閣の最重要法案であり、否決という事態を避けるために、自民党の幹部連が言 うように、継続審議にすることができたものを、あえて採決に踏み込みこんだ理由、 「なぜ、今、解散なんだ」という疑問への回答もここにあります。周到な準備と計算 のうえでの大バクチなのです。
 衆議院で「青票」(反対票)が投じられていく様子を議席から身を乗り出して楽し そうに眺める小泉の表情も大バクチをすでに決断した者のそれだったのであり、大バ クチの筋道から言えば、むしろ、衆議院で否決された方が好都合でさえあったのです。 しかし、郵政民営化法案を可決させようと必死で努力している姿を国民に見せなけれ ば、身も蓋もないことになってしまうわけで、可決に向けて大汗をかいた自民の幹部 連はいい面の皮であったのです。自殺した永岡議員も浮かばれないでしょう。
 解散劇としてはこの大バクチの性格から見て、国民の好む(郵政)「民営化」論で 世論を席巻し「予防クーデター」という本質を隠しとおすこと事ができるかどうかが 勝敗の分かれ目で、したがって、マス・メディアを民営化論翼賛で総動員することが 「自己変革」のアピールとともに小泉勝利の方程式となってくるわけです。
 『現政治情勢の特徴』とは、このように、一定の政治的期間の中で形成されてきた 主要な政治的傾向をしめすばかりでなく、形成されてきた主要な政治的傾向が新たに 発生する政治的出来事の原因ともなっていくもので、その政治的期間のすべての政治 的なものを潤色・規定してゆくものをいうわけです。
 1680万票対2110万票というのは、2000年以降の国政選挙の一つの到達 点であり、誰も否定できない事実なわけで、突然、出現した青天の霹靂ではないわけ です。私が『現政治情勢の特徴』と述べているのはこのことです。

(政治情勢の特徴は選べない)
 アルマゲドンさんは抵抗を感じると述べておられますが、私が奇異に感じる点がこ こにあります。認めたくない気持はわからないわけではありませんが、しかし、事実 こそ、全ての出発点なのであって、政治に携わる者はその好みに合わせて事実を取捨 選択するべきではありません。しかも、この政治の世界における事実(『現政治情勢 の特徴』)は、認識・分析対象として、静的、受動的なものではなく、認識主体の政 治行動を規定していくという能動性をもっている、つまり、色々な政治思想やそれに 基づく政治行動をすべて統合し、現にある姿へと比重正しく定置してゆく能動的な作 用を持っているわけで、政治主体の主観の赴くままにその意図を実現させることを許 さないのです。この能動的作用は小泉・予防クーデターの動機を規定した例で示した ところですが、身近なところでは新左翼諸党派がセクトの範疇を抜けられず、人生の 新人が絶えず供給される大学などに棲息するほかないことでもわかります。
 したがって、不破指導部が、その「大局観」により、自・民抗争は一時的で、将来 の政権党・共産党の発展こそ現政治情勢の最重要課題だと認識し、そのような位置づ けを行っても、それが『現政治情勢の特徴』と異なっていれば、『現政治情勢の特徴』 はその認識と位置づけならびにその位置づけに基づく政治行動を共産党の意図どおり には受け入れてくれないのであって、逆に、その政治行動は『現政治情勢の特徴』に 規定され、行動主体の意図とは別個の役割と結果をあてがわれることになるのです。 このことは全小選挙区立候補戦術が直近2回の国政選挙で果たした結果を見れば明ら かだと思います。共産党の政治的意図に反し、共産党は前進することができなかった ばかりか、自・公政権の延命を助ける政治的役割を果たすことになりました。

(リアルに見るということ)
 それだから、現状分析、情勢認識においては、いかに至上の価値であっても、共産党の発展・党勢拡大についての政治的価値、位置づけは、その世界観、「大局観」に基づいて行ってはならないのであって、『現政治情勢の特徴』が規定する相互関係、序列と政治的比重に従って行わなければならないのです。これが現実をリアルに見るということなのです。現状では自・民の抗争より重要な政治的意義を党勢発展に与えてはならないのです。
 わかりやすく言えば、国民の大多数は共産党の躍進より、自民か民主かの選択の方が重要だと思っているのです。それだから、共産党の対策は、この選択はダメだというのではなく(ダメだと言うことは、共産党の「大局観」を国民に押しつけることを意味するのです。「党の議席の値打ち」を教える!)、この選択のどちらが共産党の発展、政治革新の前進のために有利な条件を切り開くかを見極めて、現状に働きかけるということになるのです。共産党のやっていることと私の主張の違いがここにあります。
 不破指導部をはじめとして、共産党員の多くは、現状をリアルにではなく、「大局観」から眺めており、それが誤った情勢把握の原因、共産党の独善的主張の一原因、現在の凋落の一原因となっているのです。この「大局観」から眺める悪しき習慣は、大衆運動に目を向ければ、「引き回し」の原因ともなります。アルマゲドンさんが私の言う『現政治情勢の特徴』に「抵抗を感じる」のも「大局観」から情勢を眺めているからなのだと思います。私が根本的に誤っていると述べた理由です。
 それでは、党の世界観、大局観はどのように活用すべきかといえば、巨匠たちの言い分は例外なく、『導きの糸』というもので、現状をリアルに認識した上で、現状のあれこれに働きかけ、おのれの目指す方向へ現状を変化させてゆくということになりましょうが、具体例で言えば、私の主張する選挙戦術などがあげられるのではないでしょうか。
 レーニンならば、直截的にこう言うのではないでしょうか。
 「わが党の勢力が弱小である結果、二大政党が政治の表舞台では大喧嘩をやっている。これが現在の政治情勢の特徴である。したがって、我々の採るべき戦術は一つである。両政党を向こうに回して正面から戦うことは、相互の戦力を計算できない馬鹿者か、空想家の考えることである。わが党が採るべき戦術は両党の抗争を利用し、党と人民の利益を発展させる道を探し出すことである。すなわち、・・・」

 以上、縷々述べさせていただきましたが、急いで書いたため、意を尽くした返事とは言えない憾みが残りますが、何ほどか、お役に立つことを願っています。人文学徒さんの激励に感謝申し上げます。