どうも返レス有難うございました。
1)確かに84年当時、中央レベルと被爆現地とでは温度差があったのかも知れませんね、だからといって、古在先生らが「現地で頑張っている人達の願いをよそに、旧社会党系と勝手に談合した」とも断定できかねます。
2)社民系幹部の実態について。長崎が地元の石橋元社会党委員長(当時)なども、「ニュー社会党路線」を推進してはいましたが、個人的には銭湯利用の清貧生活を実行していた訳です。様々な民主経営論のHP掲示板において、「民主経営幹部、全労連系労組幹部の腐敗」も取り沙汰される昨今(無論そうした否定的事態は一部だと信じたいですが)、「社民=ダラ幹」としてしまうのも(一部かどうかはともかく、これまたそうした実態が存在するのも事実ですが)、「余りにもセクト主義的」という気もします。
3)被爆現地での協の取組みには、全く頭が下がります。しかし次代の運動を担う若い世代を獲得して、「真に核兵器廃絶を実現する」為には何が必要か?禁の不熱心さをあげつらうだけでなく、「過去の行きがかりを互いに超えた共闘再開への取組み」が求められているのではないでしょうか。