おかしなことがあるものである。確か、数ヶ月前、朝日新聞にも、しんぶん赤旗にも、掲示板にも、イラク人の死者が10万人を超えたとあった。信頼できるデータという解説つきで。
その後であったか、その前であったか、しんぶん赤旗のインタビュー紹介で、イラク人の女性弁護士が「少なくとも、イラク人の戦争被害者は20万以上」と言及。こういう場合、どっちを信じるのかといわれそうだが、私は、この女性弁護士を信じる。以後、20万以上の被害者と、記してきた。
当のイラク人の同胞についてである。ファルージャの悲劇をはじめとして、米軍のハイテク兵器での蛮行を追っかけてきた私としては、10万では収まらないであろうと、直感した。
7月26日のしんぶん赤旗6面に、「日本軍支配下のベトナム200万人餓死」とある。
--フランス人女性があまりの惨状に気分が悪くなり、道路で吐いたのですが、少年たちがこの吐しゃ物を食べてしまいました。
--拾ったネズミの死がいを食べようとしてしている女性、死んだ赤ん坊の脇でうずくまる母親、骨と皮ばかりになった少年たち、山積みにされた餓死者・・・
98才になるこの大惨事を撮った写真家・ボー・アン・ニン氏は、「私は写真家であり、政治家ではないので、飢餓の責任が誰にあるのかはいいません。ベトナム政府は200万人が餓死したといいます。私の実感ではそれ以上だったと思います」という。
さて、今年7月、このイラク戦争での死者が、また、更新された。しんぶん赤旗も朝日新聞も、同じ数字を紹介。しんぶん赤旗は、さきの10万という数字も、チラリと触れてあったものの、新たな数字を確信的に載せていた。
そして、数日後、7月26日。読者の広場には67歳の男性の投書がある。以下引用。
--2003年3月の米軍主導のイラク侵略以来、民間人死者が3万9千人にのぼるととの、スイスの研究機関の報告の記事(13日付)を見た瞬間、思わず戦慄が走りました。
これは死者だけの数字ですから、負傷者や家屋・財産の損害はいかばかりのものでしょうか。
二年余で3万9千人ということは、一日平均50人前後となり、7日にロンドンで起きた同時テロ犠牲者の数に匹敵します。いわばロンドンのような事件が二年余にわたって、毎日起こっているという計算になります。
何がいいたいかというと、人間は、見ても、聴いても、自分がその気で理解しない限り、あるいは、心のシャッターを押さない限り、なんにも受け付けないのだということを実感したのです。
イラクの惨状をいくら私が叫ぼうと、何も伝えない日本メディアのなかで、むしろ、愚民政策が暴力的に行われている日常の日々、デモ中イラク人がサマワで日本兵に殺されようが、日本兵を警護している外国兵に殺されようが、それらは、他人事ですむ問題なのでしょう。
共産党系の80歳を超えた女性に訊いてみました。
最近の異常な戦争状況と、つくる会の教科書の件で。
「昔の戦争状況と今の戦争状況と違いはありますか?」
「そうねえ、昔は、道徳というものがあったわね」
「今は公民ですが」
「ああ、そうお、でも、人権というばかりで、いまは被害者の人権がないがしろにされているからね。加害者の人権ばかり大事にざれて・・・ そうそう、細木数子はいいわよ。ズバットいうからね。私はすきなの」
民主党の冊子の中に、小学校にすべて警官を配置して、安全をという文言があり、私は非常に違和感を持ち、聞き出したのですが。
また、郵政民営化だろうが解散だろうが、政権交代だろうが、そんなことは問題ではありません。
みんな自分の利害でのみ動いているのですから。政党なんてほとんど無視して、この際、人となりだけで選んだらどうでしょうか。政党が前面に出ているだけでは、魅力はないでしょう。看板をとって、そのひとに何が残るか、それが大事でしょう。
共産党の00ではなくて、00個人でいいのではないでしょうか。