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靖国は戦犯ではないのか?

2005/08/12 三十郎 30代

 今年も敗戦の日、8月15日が来る。いつものように小泉首相が靖国神社参拝に対する動向も注目されている。今年はそれに加えて秋に総選挙がある。小泉首相の政治姿勢も審判できる良い機会である。
 あの戦争で大義名分のために旧日本軍は中国大陸で戦闘行為を繰り返し、中には残虐行為を積み重ねるものも少なくなかった。殺したのは中国兵、中国人一般市民だけではない。満蒙開拓団と呼ばれる日本人も多くは軍隊に見捨てられ、ソ連軍との戦闘行為に巻き込まれ、犠牲となっていった。決して日本軍は日本臣民を守る存在ではなかった。沖縄では同胞までもが友軍に殺されている。
 この夏の時期、東京裁判の不当を訴え、日中戦争を含めた大東亜戦争を正当化する動きも活発化する。軍服を着た人々の行進も目にすることができる。戦後に生まれた世代、特に20代の成人からもそのような意見に共感するものも多く出てきていることは特筆すべきことである。
 靖国神社は現在でもかの戦争のポジティブな意味を否定していない。靖国神社はあの戦争のプロパガンダの役割を担い、戦争責任者とともに戦争遂行に大きな影響力を与えた。しかし神社は戦後、一宗教法人として存在し、プロパガンダの存在としての責任を摂るどころか、賛美さえしている。例えば浄土真宗などの宗教法人も反省の意を表明しているのにも関わらず、あの神社は戦争責任者の存在まで正当化しようとするのか。
 政教分離の意味以上にこの神社の戦争での担った役割からの責任論の方が重要に思える。何故、追及を免れているのか?非常に不思議である。