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違憲無罪

2005/08/13 アンクル・トム 60代以上 無職

 今回もそうだが、憲法7条を根拠にする衆議院の解散は憲法違反と思う。中学・高校で憲法を勉強したときには、特に教えられた記憶はないが、これは単なる事務手続きを定めたものと解釈していた。69条では、不信任決議案の可決後、または信任決議案の否決後の10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならないとある。「解散されない限り」という受身表現に注目したい。つまり、内閣が総辞職を拒否したければ、7条によって、内閣の助言と承認のもとに、天皇の国事行為として衆議院を解散させなさいと言っているとしか思えない。実際には、不信任を受けての解散は69条解散と呼ばれているが、それはたった4回しかなく、その内の三回の解散詔書には「憲法7条により」と書かれ、1回は、「第69条及び第7条により」と書かれている。
 しかし、それが今では、7条単独で解散できるという解釈になってしまった。特に、今回に関しては、政府は、「衆院解散について「新たに民意を問うことの要否を考慮して、内閣がその政治的責任において決すべきもの」との見解を示したようだ。これは絶対におかしいと私は思う。衆院解散は国民から選ばれた議員が身分を失うということだ。このようなことが内閣の政治的責任にのみ委ねられていいのだろうか。これでは、立法府が行政府の下に立つことになってしまう。
 どうして、こんなことになったのか、護憲派の方には、やや耳の痛い話かも知れないが、立法府と行政府の関係に天皇の国事行為を絡ませる過程で、文章表現にそって、どのような事態が想定されるか、十分にシミュレーションをしないままに作られたから、こんなことになったのだろう。つまり、憲法の表現が不十分なのである。憲法の制定当時の日本はGHQの支配下にあったから、こんな杜撰な憲法でも十分だったのである。事実、48年の解散では、GHQは内閣の権限による解散を認めず、馴れ合いで不信任決議を可決するという過程を経たのである。
 7条解散を違憲とする私の考えは、それが当たり前のように横行している現在にあっては、今や少数意見であるらしい。しかし、7条解散合憲説は、行政府に都合のよい解釈である。長い間の事実上の保守一党支配化のもとで、憲法が本来盛り込もうとした内容が、表現の不十分さをよいことに、無視されてしまっているのだ。このような憲法違反の7条解散でも、共産党を初め、各政党とも大歓迎のようだ。各政党にとって、勢力を伸ばす機会は選挙なのだから、その気持は分かるが、この点はキッチリしてもらいたいものだ。
 こんな違憲無罪状態を見ていると、9条があるから、「戦争をする国」にならないという論法も怪しくなってくる。今回、小泉首相は、「参議院での否決は、内閣に対する不信任とみなす」とう、「みなし」論法で、解散を正当化していた。
 これが自衛権の発動に適用されたらどうなるだろうか。日本の有力な政治勢力はすべて自衛のための戦力を認めている。将来に、何らかの事情で、日本を取り巻く国際情勢が緊張したものになったと仮定しよう。その時に、指導者が「日本が侵略されたものとみなす」と宣言して、先制攻撃を仕掛け、9条のもとでも、堂々と「戦争をする国」に成りかねない。そんなことは憲法の解釈でどうにでもなってしまうだろう。「戦争をする国」を選択するか、否かは、9条が決めるのではない。それは、国民の政治選択にかかっている。9条の効力を認めるとすれば、それは、交通安全のお守り程度のものであろう。信号無視の車が横行するなかで、あなた方が安全であるとすれば、それは偶然であって、決してお守りのせいではない。信号無視の車を止めずに、お守りを広めてどうするのだろうか。