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党員欄頑固者さんへ。原水禁分裂固定化の責任は誰にあるか。

2005/08/14 KM生 50代 公務員

貴方のレスに補足反論します。
1)63年「部分核停」を巡る「禁と協への分裂」は、確かに旧社会党系に非がありました。しかし、分裂後も「再統一への努力協議」は粘り強く続けられました。しかし残念なことに、84年を最後にこうした協議は一切行われなくなりました。即ちこの年を最後に、「分裂固定化」したまま現在に至っています。
2)何故この年に分裂固定化したのか?共産党系の原水協や平和委員会代表が、禁や主婦連、生協連等との統一協議において決定した「団旗自粛」を、党中央が(当時労働戦線が連合と全労連に再編される過程にあった事情もあり)「自粛すれば運動の主導権を連合系に取られてしまう」とクレームを付けたのです。そして協や平和委員会の人事に介入し、党中央の気に食わない代表を「党中央のコントロールのきく代表」に更迭したのです。そして、他団体との「団旗自粛」という合意事項を反故にして統一協議の場から去っていったのです。
3)結果的に「多年に渡って原水禁運動に尽くし、統一協議に尽力されてきた」「禁等他団体からも対立の中でさえ一目置かれてきた」古在由重氏や草野信男東大名誉教授、長谷川静岡大教授、翻訳家の山下史、久保文両氏等々の多彩な人士が党除名されるか或いは自ら離党されたのです。
4)むろん85年以後は統一協議の場さえ持たれなくなり、分裂固定化したまま現在に至っています。以上より、85年以後分裂固定化の非は共産党側にあることは明らかです。
5)因みに89年参院選敗戦後は、党中央は「連合が勝利したのも一定の国民の期待の反映」ということで、連合との共同路線を打出しました。しかし、こと原水禁運動に関しては「当方の非を認めて統一再開協議する」動きは全く見せておりません。
6)「団旗自粛」などという些事の為に、「原水禁運動の統一協議」という大義を捨てて、結果的に分裂固定化させた日本共産党の責任はきわめて大きいのであります。