選挙戦も中盤に入った。
今回の選挙は、新自由主義政策の推進に伴う増税や雇用、年金、社会保障のいっそうの切り捨てだけでなく9条改憲がかかっており、今後の日本の針路を占なう重大な分岐点となるであろう。
社民党が9条改憲・新自由主義政策推進勢力である民主党と選挙協定を結び、選挙後には同党の民主党への吸収さえ噂されるという政界全体の右傾化の中で、「たしかな野党」共産党の闘い方とその選挙結果に海外からも視線が注がれている。
しかし問題なのは、共産党が相も変らず全小選挙区立候補戦術を取り続けている事である。
同党は、先の市田書記局長談話などでこの「戦術」の撤回を表明したはずであったが、フタを開けてみれば今回もまた300小選挙区中275選挙区で候補者を立て、依然として事実上の全小選挙区立候補に固執している。
全小選挙区立候補戦術に対しては、従来より党内外から多くの疑問や批判の声が挙がっていた。この「戦術」は党の主観的意図による正当化にもかかわらず客観的には自公連立政権の延命に手を貸すだけのものでしかないのではないか?それは、日本の政治革新の進展度をもっぱら自党の議席数によって測ろうという単なるセクト主義ではないか?等々と。同「戦術」が多くの有権者から批判を受け理解を得られていないことは、その撤回を表明した前記市田書記局長談話の中でも認められていたのである。
本サイト「現状分析と対抗戦略」欄の原仙作論文(03年12月24日、05年8月5、8、27日付けなど)がレーニンの『共産主義内の「左翼主義」小児病』に依拠して批判したように、全小選挙区立候補戦術は、「労働党(「民主党」と置き換えて読め-引用者)支持へ向かう労働者の腕を掴んで、その大多数を、直接、共産党支持に引き寄せることはでき」ないことや、「まず、彼ら労働者多数の願望を実現し、その成果・労働党(「民主党」と置き換えて読め-引用者)政権を経験させることが必要だし、その経験こそが社会主義革命への接近という視点から見て重要」なことを全く理解しない「左翼主義小児病」でしかないことは明らかである。
その上、ここに来てさらなる問題が浮上してきた。レーニンや原氏の「読み」とも異なるケースが誕生する可能性の問題である。そして全小選挙区立候補戦術は、原氏により指摘された問題性とも別に、僅かとはいえ存在するこの可能性さえも潰してしまうことが危惧され始めているのである。
それは、共産党によるキャスティングボート掌握の可能性である。
そもそも、民主党を「自民も民主も同じ」と看做す左派的な立場からでさえも、民主党政権の誕生については二種類の異なるケース、二種類の意義が考えられよう。それは、
(1)民主党単独政権誕生のケース。
(2)民主党連立政権または少数政権誕生のケース(ただし民主党と保守新党だけによる過半数獲得のケースは①と基本的に同様なので検討対象から外す)。
まず、原論文が希求する(1)のケース。
このケースでは、政治変革を求め同党に投票した有権者は早晩裏切られ落胆することになるであろう。民主党は、安保・外交政策においても経済・社会保障政策においても自民党と基本的に変わらないからである。
しかしその場合でも、レーニンや原氏が主張したように、有権者は自らが選択した民主党政権による悪政を実際に体験することで、民主党に対する幻想を払拭することになる。民主党政治の現実は、政治変革を求めて同党に投票した多くの有権者に失望を味あわせるであろうが、それはやがて有権者を本物の改革の必要とその具体的中身についてのより真剣で深い思索へと仕向けるであろう。そのことにより日本の政治は次の新たな歴史的段階に進む事が可能になる。現在ドイツ、韓国、イギリス、などで模索が開始されている「第三極」形成への国民的待望と支持が高まる段階である。
そして、(2)のケース。
可能性は少ないが、新党との連立によっても過半数に届かなかった場合の民主党が政権欲に駆られて共産党に触手を伸ばすケースである。つまり共産党がキャスティングボートを握るケース。
この場合、共産党は民主党(または民主党・新党連合)に閣外協力などの方法によって「よりまし政治」への妥協を迫ることが可能であろう。このケースでは、政権入りに色気をもった共産党が現在よりいっそう現実主義化・右傾化してしまう可能性もあるが、それでも民主党政権の悪政が部分的に防げるだけでなく一定の政治的前進が実現される可能性さえ否定出来まい。共産党が選挙や政権参加についての何がしかの協定を民主党と結ばずとも、選挙後の国会の勢力分布によっては考えられるケースである。
つまり、民主党政権の誕生には、原氏が到来の必要を力説する(1)のケース以外に(2)のケースも考えられるのである。
そしてこの(2)のケースは、たとえ共産党が二大政党化の嵐の中で敗北を喫し、現在より議席を後退させたとしても、なお可能性があるのである。民主党や新党の獲得議席数と連立工作の動向によっては、共産党がキャスティングボートを握ることが十分あり得るのだ(なお、民・公連立の可能性であるが、自民との選挙協力で民主と激突し、自・公過半数割れの場合には下野せざるを得ない公明と民主が連立を組むことは困難であろう。政権亡者の公明の側はともかくも、民主にとって公明と手を組むことは共産の閣外協力による政権担当よりもなおいっそう大きな政治的道義的困難を伴うはずだからである)。
さて、告示日に最終的に確認された275候補擁立という共産党の小選挙区立候補状況は、上記(1)も(2)も同党の念頭には全くないということを明らかにするものであった。共産党は、郵政「造反組」の立候補により公明党現職が危機的状況に陥っている東京12区などでももちろんのこと、多くの伯仲選挙区で今回も自・公軍団の「応援団」の役割を果たそうとしている。小選挙区選挙での共産党は、郵政「造反組」の支持層よりも民主党票を喰い荒らし、「造反組」候補を助けるだけの役割になりそうな広島6区の刺客・ホリエモン並みの存在でしかない。キャスティングボート掌握の可能性を考慮しない同党の「小児病」に対する「セクト主義」、「近視眼」といった批判は、けっしてタメにするものではないだろう。
今からでも遅くないのである。共産党は、当選の可能性のない50程度の伯仲選挙区で自党の小選挙区候補をただちに降ろすべきである。
275分の50程度であれば、比例選挙への影響も軽微であろう。否、伯仲選挙区の候補者を取り下げる事で、共産党にはその柔軟な対応を好感した有権者からの新たな比例票さえ寄せられるのではないのか?候補者を降ろす事で空白区となる選挙区も比例候補を重点的にハリツケにすることによりカバーすることは十分可能なのである。
この決断は、選挙結果や選挙後の日本政界に大きな影響力をもつ可能性を確保することになるであろう。
このままで選挙後に伯仲国会が生まれた場合、共産党は院内情勢の激変に対応できまい。共産党に当選を「妨害」された民主党議員の多くは、自党の議席が過半数に迫れば迫るほど共産党への反感を膨らませるだけであろう。反感に対して独善で応じても日本の政治の大局的変化を主導することは出来ないのである。「孤高」の姿勢を貫いても、「蚊帳の外」では政治責任の放棄でしかなかろう。自・公軍団の公明党のように選挙協定や政策協定(連立関係)を結ばなくとも、他党の依存関係を創り出し激動の時代に主導権を握ることは可能なのである。
今、「たしかな野党」には、「小児病」を克服した大人の戦術が求められていよう。