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「武装セル国民」という幻想

2005/09/16 尚 30代 レントゲン技師

 アメリカ合衆国の国民は少なからず銃によって武装されている。部分的には「武装した労働者階級」である。しかし彼らの銃は凶悪犯罪を助長しているだけである。
 不特定多数の国民に武器が普及し、党派によって国民が組織されたユーゴスラビアやアフリカでは内戦によって多くの国民が不幸になっている。
 国家の暴力装置を排除するために不特定多数の国民を武装する必要が発生するとしても、治安の悪化を免れることはできない。「早期に解消すべき異常事態」でしかない。
 大祖国戦争で勲功のあったコーネフ将軍はその大祖国戦争中にソ連国内で自国のパルチザンの爆弾で暗殺されてしまった。特定の党派、特定の目的のためだけに国民を武装することなど不可能であり不可避的に多くの国民を不幸にする可能性が高い。
 武装した人民による圧制に対する勝利を賛美するあまり完全無欠の手段のようにみなすのはいかがなものか。
 レーニンのボルシェビキにしたところで予め兵器をかき集めて国民を武装した訳ではなく、武装した水兵等を普通の運動によって獲得した結果として武力革命が可能になった訳で連合赤軍のようなやり方はとっていない。
 議会で権力を奪取して革命が成立する等とは思わないが、予め兵器を溜め込み、高齢化した党員を訓練するなど論外である。
 国民の合意と理解が得られないならば武力闘争に勝利することなどできないであろうし、そのような支持が国民の間で取り付けられるのは国家による国民弾圧があった後であろう。少なくとも現在の選択肢に暴力革命は入らない。
 「武装した国民」という発想は危険で誰の利益にもならない。数千万の労働者階級を武装したところでそんな大集団を統制することは誰にも出来ない。アメリカ軍の全軍を総和しても一千万人はいない。
 ただ幻想の上にのみ存在を許されると言える。