小泉純一郎は死ぬ気で選挙に打って出た、一か八かで、しかし絶対勝つと確信
して総選挙に打って出た、国民の支持投票に賭けた、そして今のところ野党のだらし
なさも手伝って、思惑通りにその舞台は展開している、今頃マスメディアの「自民党
圧勝」と言う報道に、厳しそうな表情の下で小泉はぺろりと舌を出し、「次は何を舐
めてやろうか」とほくそえんでいる。
小泉が、自民党が単独過半数、自公が圧倒的過半数を取れば、やりたいことをやる
だけになる。
「政界再編成」にも手をつけるだろう、政界再編成は野党民主党の敗北によって行
われるのではなく、勝利者の手によって行われる。何の遠慮もなく「抵抗勢力」も武
部幹事長曰くの「党内社民的勢力」も、「地方分権的勢力」もバッサリと切って捨て
られる。
(田中康夫の新党結成は、作家の感覚としてそれを見越した危機感の産物かも知れな
い)
文字通り「戦前」も「戦後」そして「アジア」さえ切捨て、かなぐり捨てて「戦争
を知らない」世代を中心とした新政党と新政権が誕生する、自民圧勝であれば公明党
も解党され、新自民党内の宗教勢力として止まるだけになろう。
もちろん「たしかな野党」も、数人残るかもしれない「社民党」も、「完全小選挙
区制」の導入などの手段によって、その次の総選挙で一掃されるだろう。
当面はアメリカと同じような「二大政党制」的な形をとるかもしれない、がしかし
それは本当に形式的で表面的な繕いでしかない。
「新」自民党独裁体制を敷き、そして民主党がそれなりに残ったとしても、それは
「大連合・大連立」か「大政翼賛会」的なものでしかない、何の違いもない。
「民主主義とは多数決である」「不満なヤツは排除し、抹殺すればいい」「過半数の
支持があれば国民に信任されたのだから何をしてもいい」、「既成事実化すれば国民
はそれを認める」これが小泉の認識であり本音だろう。
かつてヒットラーが政権を奪取した時、ナチスは第1党といえ僅か230議席(全
体608議席中の)だった、それでも首相に任命された、残りの政党はSPDなど少
数分裂といえ圧倒的多数なのに何も出来なかった。
やがて議会は解散させられ、政党も解党させられた。
その後ドイツは第3帝国への、破滅への道をまっしぐらに突き進む。
いや「ドイツと日本は違う」、「当時と今は時代が違いすぎる」「今の日本は民主
主義が定着している」しかし、この認識は甘い、余りにも楽観的すぎるだろう、権力
を知らなさすぎるし、今の世の中を支配する流れを余りにも知らなない。
小泉の強固な支持層はあの「ヨン様人気」にダブる女性層なのだ、小泉的魅力的な
魅力に幻惑されている、そして相当部分の若者たちはヨーロッパのネオナチのように
確実に排外主義、新自由主義、安倍晋三や中川昭一的な、「日本会議」的なものに憧
れ、松下政経塾系の政治に浸透し組織されている、政治に関心を持つ若者すら「嫌韓
流」マンガ的になもの流されている。そして残りの若者達は煩わしい政治に無関心を
装う、しかし刹那的に流れる要素がある、しかもそこには「ライオン・ハート」の小
泉が待ち受けているのだ。
全てに否定的であることは良くないし、断定もよくない、確かに頑張っている若者
達も多い、しかしその大半は社会の極表層に関心を持ち憧れているに過ぎない、「疑
似国連研究会的」なグローバルかじりも多い。
小泉が勝てば「戦後」や戦後の「平和と民主主義」を支えていた日本国憲法を始め
とするや「良識「や「認識」は一掃され、遥かな過去の物へと押し流される。
その時私たちに何が出来るだろうか?
小泉ファッショ独裁と闘うには何が必要か、少なくともそれは今までのような「何
でも議会」、「何でも選挙」の共産党的あり方は通用しない、地道に労働者と密着し、
人々と日常的に接し、依拠した新たな運動体、公然・非公然を含む政治組織が必要と
なるだろう、そしてそれには思想的には根底にマルクス主義を置ことになるし、労働
者主体の「韓国民主労総」的な労働者の要求に依拠した「闘い続ける労働戦線」の存
在が前提になるだろう。
そしてそれには「若者達の真の組織化」が全ての答えとなる。
もちろん、当面の総選挙に全力を尽くすべきである、しかしこれらのことを考えて
おかないと「惨めな敗北」の後には大混乱が待ち受けるだけである。