FMさん、シングルママさん、身につまされます。
ある掲示板でも、紹介したのですが、ほんとうに、こうして、金太郎飴は最後まで嘗め尽くされ、あるいは、自覚したものは、怨念をいだいたまま、反共になっていくのですね。
それにしても、共産党に入党なり、勤務するということは、少なくとも共産党の理念を理解し、共感してこそ、できるとおもうのですが、どうなのでしょうか。また、そうした世直しの崇高な信念を持つものとパートナーを組むということは、相手の人格を共有することでもあると思えるのですが。
なんだか、分離したまま、各路線が交わっていないような気がします。そもそも、共産党という土台の理解がないまま、生活の重圧におしひしがれるまま、党の責任に帰着していくようです。
つまり、党の理念より、組織の問題、幹部の問題といえるのでしょうか。
あるいは、共産党の理念と同じく、他党でも、それなりに掲げるものはあるのでしょう。自民党・民主党なり、公明党なりの党理念のために、血反吐を吐き、金を横領し、警察にぶち込まれる人も出てきました。ただ、これらは、共産党の小林多喜二が「党のために、民衆のために」理念を貫き、特高に殺されていったのとは大違い。
自らの政権維持、我欲のためで、なんら、共感も同情もできません。そして、こうした方々は、血反吐の分だけ、金も回ってくるという構図なのでしょうか。
どっちもどっちで、政党本来の機能が止まっているような気がします。
組織というのは、かくも、停滞・堕落していくものなのでしょうか。
もしかして、ここに、共産党が伸びない根源があるのかもしれないと思いました。同時に他党の腐敗も。
表面だけに囚われる思考から脱したいと思いますが、難しいですね。改革は「反生活」です。小泉の改悪は、永久なる反生活路線、共産党は、永遠の理想路線、表面に現れるのは根源の異なる結果です。