人間は、往々にして無い物ねだりをする。それを希望とか、夢とか言っているうちはいい。現実的に無理なものを手に入れようとすると、いろいろ障害が起きる。無理なものでも手に入れてしまった人を世間では、成功者と呼び、その人の無理の犠牲にされた人は、落伍者と呼ばれる。
一軒の家の中でも、無い物ねだりをする人はいる。私の父がそうだった。戦争中食料が乏しかった。主食の配給も米はわずかで、大豆、こうりゃん、あわ、麦などが含まれていた。大抵の家では、それらを米に混ぜて食べていた。ところが私の父は、仕事がら料亭に招待されることが多くて、家の食事がまずくてしかたない。毎日、食事時には文句たらたらで母をこまらせていた。
母はおこられるのがいやで、父には白米だけをたらふく食べさせ子供達とくに女子には、父の見えないところで雑穀ばかりを食べさせた。学校で毎月児童用に特配される乾麺や、パンは、私は家に持って帰るだけで、母は全部父に食べさせてしまった。さぞおいしいだろうなと、私は想像するだけで一度も食べさせて貰ったことはなかった。
こういう不公平は、社会では当然のごとく、日常的に行われている。私がアルバイトで働いていたときには、大変な仕事は安い賃金でアルバイターがこなし、本雇は、けた外れに高い給料でのんびり仕事をしていた。仕事のきつい働き口ほど、賃金も安かったので、比較的に待遇のいい、役所関係で働き口を見つけていた。本雇いと、アルバイターでは、責任の度合いが違うと言われればそれまでだが、どうかすると上役が自分の失敗を部下になすりつけることだってある。
ところで私が本当に言いたいことは、レーニン的社会主義も無い物ねだりではないかと言うことである。現実は、資本主義で、その中で暮らしているのに、底辺のレベルを底上げする努力を主軸にしないで、体制的に社会を変えてしまおうというのは、労働者が資本家を支配することで、支配能力から言って、とても無理な要求である。
一家の中で、父親がわがままだからと言って、虐げられている子供が家族を支配出来ないのと同じ道理である。戦争が終わって、食料が豊富になれば、子供も充分に食べれるようになった。社会が豊かになれば不公平も幾分か和らぐのである。父親は年を取る。反対に子供は成長をする。その時に父親は過去の自分のわがままを反省する。子供は、親のまねをしないで家族を公平にあつかえばよい。
日本共産党は、無い物ねだりをしてきたと思う。出来もしない要求を掲げて下部のおしりをたたいて来たことが多すぎる。私は、親の男女差別の虐待から逃れようとして、日本共産党に入党したのだが、そこでの苦痛はあまりにもひどかった。私も党の要求する無い物ねだりをして毎日駆け回った。そういう人間離れした子供と暮らすのが厭で家を捨てて親の方が逃げ出してしまった。
今は、かって私を苦しめた。親とも別れ、日本共産党とも離れてしまった。どちらも愛情がなかったわけではない。ボタンの掛け違い的なところがあったと回想する。その原因は無い物ねだりではないかと思うのである。相手の無い物ねだりだけではない。私自身の無い物ねだりが大きかったのではないかと思う。親や、党への期待が大きすぎたのだと思う。
親も人間だ。未熟なところもあるし、一個の個人としての欲望もある。子供にとっては、親であるが、親にとっては、親である前に人間であった。
党も未熟であった。間違いのないリーダーなどはいなかったのだ。リーダーである前に人間であったのだ。人間はすべて過ちを犯すものである。
誤りのない人間を求めていた私自身が一番無い物ねだりをしていたかも知れないと思っている今日この頃である。
私の周囲の人々を見回しても、無い物ねだりをする人は実に多い。私の兄弟は親の世代と反対で、子供が十分に成長して社会的にも申し分ない地位についているのに、子供から援助されるのを嫌って、わずかな年金からまだ子供に援助しようとして、苦労している。それが思うようにならなくて子供の居ない人はうらやましいと、不満をもらすので、もう勝手にしてくれという気持ちになった。年をとっても、家族に対する支配的欲望から開放されていないのだと思う。一見子供思いのようでいて、親の時代よりも質が悪いような気がする。
政治批判に結びつけられなくてごめんなさい。