ポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブルク
彼女は1919年1月ドイツ革命の最中、SPD・ドイツ社会民主党の総司令官ノスケによってカール・リープクネヒトと共に逮捕・虐殺され、この反革命によって1918年からのドイツ革命は実質的に敗北する。
このドイツ革命は1917年10月「ロシア革命」を達成したレーニンが、何よりもその勝利を熱望し期待を寄せた、世界革命の一環として最大で絶対負けてはならない革命だった。
ローザ・ルクセンブルクについては「鉄の女」「ゲバルトローザ」など様々な評価があるが、一番よく知られているのは「大衆運動への限りない信頼、自然発生的な大衆決起への過大とも云える信頼と確信、大衆運動それ自身が持つ革命性と創造性への全面的依拠」であり、しかしそれはレーニン的な「革命党による革命の指導性」ではなく、逆にSPDが持っていた限界性、「資本主義の自動的崩壊の理論」を内在していたのです。
だからドイツ革命と言う極限的状況の中で、スパルタクス団のも待つ限界性、反革命に対する絶対的弱さが表面化し、内部の敵とも云えるノスケ義勇軍の暴虐を許し、自ら血の海に沈んでしまうのです。
ローザ・ルクセンブルクは自身の余りにもの楽天的信頼が故に、何事にも戦術の受動性に陥り、味方から裏切られ、命を奪われたのです。
勿論、レーニンとローザの間には、封建の域を脱せず、後進性の強いロシアと、逆に帝政と言え既に議会でSPDが300万票も獲得しているドイツとの政治的習熟度の違いもある、しかし両者は各々討論し妥協点を見出し共闘もしている。
レーニンは彼女の死に際し「鷲はときには鶏よりも低く舞い降りるかもしれないが、しかし鶏は決して鷲のような高さに舞い上がることは出来ない」とロシアの諺を引いて、彼女の偉大さと高潔さを称えたたそうです。
だからローザルクセンブルクを論じる時単なるSPD的な社会民主主義・議会制民主主義を引き合いに出すのもおかしいし、レーニン批判に彼女を持ち出すのも変なのです。
革命や大衆運動の高揚期には彼女の戦術、考え方は評価出来るのですが、それらの下降期に彼女を持ち出すのは誤りだし、また本当に革命をやり遂げる厳しい状況の中では、相応しくないと言えるのかも知れません。
しかし資本主義がどん詰まりを迎え、アメリカ的に軍事力に頼るしか生き延びる手段しかなく、もゆとり失われた今、情勢の急変はどこかしこでありうる事かも知れない。
アメリカで起きた9,11も、日本で起きた9,11もそのことを示している、年収200万円時代、非正規雇用の増大などを引き合いに出すまでもなく、革命的流動化が明日にでも起きるかもしれない今日に、私たちは生きているのです。
その時ローザルクセンブルクの大衆への信頼を思い出し、レーニンの冷徹でリアルな戦術を駆使出来れば、何ら恐れる事はないのです。
「ニュース23」でもこの前の総選挙でも、明らかに若者達の右傾化が進行している、先ず激動が開始されたらナチス張りの反革命がこの国を襲うかもしれない、みなさん、パイは一杯持っていたほうが有利なんですよ。