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一般投稿欄

資本主義の最高形態としての帝国主義

2005/10/30 零細個人投資家 60代以上 自営業

 寄らば大樹の陰様、はじめまして。レス戴きましたが、なにかと身辺多忙でサイト訪問が遅れてしまいました。申し訳ございません。

 先ごろの衆議院選の選挙結果に、1人で勝手に大きな危機感を持って、「九条の会」呼びかけ人の皆様の『日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりが・・・・』アピールに感動を覚え惚れて、PC検索を掛けていろいろなサイトを探し回ったあげく、共産党の地区委員会に電話で尋ねて、地域の「設立準備会」呼びかけ人の1人に加えさせて戴きました。

 大樹の陰様の革命的気概に反対する意図は毛頭ありませんが、主張されるご意見のなかに???と感じるものがありましたので、あえてこの場を借りて、ご質問なり疑問・異論を企ててみたいと思います。

 アメリカに対する認識ですが、大樹の陰様は「資本主義の最高形態としての帝国主義」でアメリカ帝国主義と規定され、それによると日本の資本も「帝国主義の論理」で動いていると規定されていますが、それでは少し乱暴に過ぎないかと思います。アメリカ帝国主義とする定義そのものが、もともとソ連のスターリニズムの弊害から益々醸成されたもので、コミンフォルム(世界共産党・共産主義の司令塔)に集う諸国の共産党、日本共産党も例外なく、おしなべてアメリカ帝国主義の定義のもとで、歴史的にアメリカ帝国主義に反対するプロパガンダを展開してきました。スターリンとその同調者と後継者たちにとって、一国社会主義制度とその論理を正当化する上で、アメリカ帝国主義に反対とすれば何でも有りで、近代資本主義を分析・解明する必要もなく、国家計画経済の歪んだ優位性を吹聴するだけで、とても都合が良かったはずですよね。そのことが、長期に渡って世界中の共産主義者や社会民主主義者の現状認識を誤らせ、「アメリカ帝国主義論」に固執するあまり、“搾取の根絶と人類の解放”の人類史上もっともロマンチックで壮大な事業に多大な困・・・(文字化け)・・・
 アメリカ合衆国は今日でも連邦共和国制度を維持している国です。アメリカの歴史上の始まりでは帝国主義的な領土拡張政策や他国の侵略をおこなう国ではありませんでした。アメリカ大陸に植民地領土を保有する西欧専制諸国(特にスペイン専制王国)から、植民地戦争や紛争の結果として割譲や購入をうけたもので、その意味では奴隷制度維持の汚点を除き、歴史上「植民地開放、自由と民主主義」に一定の歴史的社会進歩と貢献をしてきた国です。
 帝国主義の定義が異なります。「資本主義の最高形態としての帝国主義」とする古典(アルヒーフ)的解釈の直訳で、現代の高度に発達した資本主義国家・社会を一括りにまとめて規定するのは、大変危険で現代資本主義の分析と解析、認識の基準を誤る恐れがあると考えます。
 もちろん今日のアメリカが、ブッシュ・ネオコン政権の政策による、レーガンやサッチャーの唱えた新保守主義を越えた、新保守主義(Neo conservatism、新自由主義と同義語)によって、地球規模の覇権主義を唱えるグローヴァリズムが、ソ連邦とソビエト共産党並びに東欧諸国の社会主義国家の崩壊、言い換えれば世界規模の「搾取の根絶と人類の解放」運動の退潮と、時期を同じくして提唱されてきたことに注目する必要があります。(ここで、非民主主義の戦時共産体制、共産党一党独裁の専制的党支配と人民抑圧の構図を語るつもりはありません)

 恐らく、大樹の陰様は「資本主義の最高形態としての帝国主義」論に固執、あるいは古典(アルヒーフ)的解釈を信奉されるあまり、現代資本主義の論理、あらゆる文化と科学、科学的創造物を飲み込み見事に消化する活力と貪欲性と柔軟性、民主主義的手法を駆使したその目覚しい変化と発展には目を向けていらっしゃらないのではと想像します(間違ったら、ごめんなさい)。百歩譲って、そうした仮定に立つと、高度に発達した資本主義の今日的過程の中で、階級矛盾が激化して階級闘争が発展して、どんなカタチにしろ先進国革命(一国民主主義革命=社会主義革命への移行)が実現しているはずです。御覧なさい、世界中どこにもそんな国は存在すらしません(もしも、アメリカ帝国主義の干渉と支配云々を云うのは論議の本質を誤ります)。社会の発展法則の論理です。
 従って、「路上に出て戦え!」だの「デモをかけろ!」だの「機関紙を読め!」たぐいのプロパガンダ(プロモート)がどれほどの効果があるのか大変疑問です。「ほっておけば破滅が待ち構えています。」とする、大樹の陰様のアジテーションにもにわかに同意できないものを感じてしまいます。なぜなら、現代資本主義社会では国家を動かす力や能力は圧倒的に国民大衆にゆだねられています。いまや企業経営(資本)に不可欠のインターネットツールは、インターネット革命の担い手は圧倒的に若い働き手によって支えられています。金融や市場経済の担い手にも、若年労働者が続々と進出を果たしその知力と能力を高めています。「株を51%買えば、企業は我々個人投資家のものだ!」と叫ぶ零細個人投資家も現れています。不正や不条理にはとても敏感に反応して、その偽物ぶりを暴く鋭い嗅覚・感性も持っています。だから、既存革命党が80ウン歳の老醜に「自己弁護と欺瞞の歴史」という白粉を塗りたくって出て来ても、建前と本音を使い分ける妖怪だとすぐ見破られてしまいます。ただ、自己の行くすえやこの国の未来に明るい展望、ビジョンが描けないのではないでしょうか。求められていることは、「破滅が待ち構えている」とするのではなく、その困難を若者たちと共にどのように打開するかでしょう。それがなければ、もうすぐ歴史の屑篭ゆきか反動の手先に成り果てるか、2つに1つでしょう。

 テロリズムとレジスタンスを同列に語るなど理論の貧困そのものです。テロリズム肯定論は、善良なアフガンやイラクの民衆を悲しませ新たな苦難を背負わせるだけです。世界中に恐怖(テロル)をばら撒き、反動勢力のレバレッジ(梃子の原理)の餌食です。民族や文化、宗教、国家の独立を超越した覇権主義を押し付けるブッシュ・ネオコン政権と骨の髄まで、そのポチ公たる小泉政権を大いに喜ばせます。国民大衆が生死を分かつほど、極度に飢えてもいないのに暴力革命肯定論などもってのほかです。階級闘争至上主義は高度に発達した資本主義社会では一般国民大衆の支持をとうてい得られません。
 それ自体がプロレタリアートに属しながらも、高度に発達した資本主義社会で生きる限り、各階層の多様化と多種・多様性、多元的な価値観を、性別や異論や少数を排除しない“徹底した民主主義の実現”を通じて包括的に運動に取り込めなければ、巧みな政治権力手法、膨大な国際金融資本の圧力、強大な軍事力の恫喝、これほどまでに緻密に発達した資本主義に打ち勝つなど、夢のまた夢だと思います。

 多くの社会主義者、共産主義者の皆様に強く望みたいことは、社会変革の理論は一にぎりの知的階層の占有物、あるいは革命党支配の道具ではありえないこと、革命党組織やマルクス・レーニン主義の古典(アルヒーフ)的直訳解釈に依存することなく、大いに議論を戦わせながら、既存革命党の至らなさを嘆くだけでなく、その変革の道筋を探り、宗教的な信奉ではなく発展的解釈と応用で、リアリズムの視点と分析で現実の世界観と社会認識から未来社会を民主主義的に切り開く「自立した社会主義者、共産主義者」としてたゆまぬ自己革新してください。私たち一般国民大衆も信頼して後に続くことができます。