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尚さんへ、もう少し論理を展開していただけませんか

2005/10/30 寄らば大樹の陰 50代 苦闘するフリーター

 マルクス主義について解説頂きありがとうございます。
 ところが殆どマルクス主義を理解していない私ですが、なぜか様々な矛盾を感じていますのでご確認下さい。
 「生産手段の社会化とは」の中で初めからマルクス主義の理論を展開いただいていると思うのですが、基本的にマルクス主義は誤っていると書かれていると理解させて頂きました、しかし最後に「現在の共産主義者の目指すものではない」と結論付けておられますから尚さんは「マルクス主義ではない共産主義者」と、考えさせて頂いて良いわけですね、さてここから質問に入ります。
 まず一点、「階級とは労働の分業によって」の中で「指揮労働を行う側に必要な権力は何よりもまず指揮される側によって指揮する側に付託される」となっていますが、これは労働者階級は無条件で支配階級・ブルジョワジーに支配権力を渡すと言う事ですよね、革命による権力の奪取はもちろんダメ、選挙も単なる信任投票をすると言うことですよね。
 また分業がある限り、いつまでたっても永遠に労働者は、社会の主人公にはなれないと言うことですかね。
 第二点目、「生産手段を国家が把握することは暴力装置と支配階級が結合する」とありますが、これはプロレタリア革命の後と言うことですよね。
 でもプロレタリア革命とは生産手段を「国家が把握」する事でも、「暴力装置を国家が専有する」ことでもないし、ましてや私たちの上に支配階級がいることでもないと思うんですよ。
 プロレタリア革命とは文字通り、「私たち労働者が支配階級になる」ことですし、「国家は廃止」されてしまうんですよね。
 私たち労働者が過渡期的に支配階級になるんで「私達が私たちの上に君臨する」ことなんて物理的にも出来ませんよね、もしそこに「官僚」がいても私達がかわるがわる官僚役を努める訳だから支配階級ではないしー。
 第三点目、チョツト何を言われているのか判らなくて混乱しているのですが、確かに共産主義社会の前の「社会主義社会」であれば、プロレタリアートが権力を奪い取っていないので、当然資本主義社会と同じく支配階級としてのブルジョワジーも、被支配階級としての労働者階級も存在するし、その間の階級闘争もある事となります、しかしこの事はここで批判されているマルクス主義とは関係ないですよね。
 第四点目、それとしきりに「指揮労働」と言う言葉が出てくるのですが、指揮労働とは資本家・ブルジョワジーのことを言うのでしょうか(資本家なんて働いているとは思いませんがー)それとも所謂中間管理職の事なんでしょうか、中間管理職であれば私は彼らは労働者・プロレタリアートの一部、またはその予備軍と思っているのですがー。
 そして最後に第五点目、最後のところで「支配階級に恣意的に生産手段を運営させず、生産を何がしかの方法で管理する」となっていますが、ここの支配階級とは権力を奪取した労働者階級の事でしょうか、それとも監獄に入れられた旧の支配者・ブルジョワジーを引っ張り出して働かせると言うのでしょうか、少し理解し辛いのです。

「共産党宣言」第二章の最後にマルクスとエンゲルスはこう書いています。

「政治権力とは、本来の意味では、一つの階級が他の階級を抑圧するための組織された暴力である。プロレタリアートがブルジョワジーとの闘争において、必然的に階級へと結集し、革命によって支配階級となり、支配階級として古い生産諸関係を暴力的に廃止する時に、プロレタリアートは、この様な生産諸関係とともに、階級対立の存立条件と階級そのものの存立条件を廃止し、それによって階級としての自分自身の支配を廃止するのである」(岩波版では暴力が「権力」となったり「強力」と訳されている)

 いずれにしろマルクスは、どの社会でも生産力の向上による生産力と生産諸関係の矛盾が社会変革の原動力となるとは言え、ブルジョワ社会を転覆するには、決してタナボタ式ではなく労働者階級の革命への決起が必要だと言っているのです。
 「共産党宣言」の第一章の締めはこうですよね。
 「ブルジョワジーは何よりも、自分たち自身の墓堀人を生み出す。ブルジョワジーの没落とプロレタリアートの勝利は、いずれも不可避である」
 是非、前向きな討論を御願いいたします。