大樹の陰様が紹介してくださった本の内容は、今の世にも通じるもので、世代は変わっても人のいきざまや、矛盾は、変わらない物だなーとつくづく思います。
徳球さんというと、火炎瓶闘争を指導した悪い奴と言うイメージしか持っていませんでした。50年に追放されてから、日本には帰ってこられなかったようですね。(党生活の刷新)は、いつ頃の労働組合運動のことが書かれておるのでしょうか。
戦後雨後の竹の子のように労働組合ができましたが、戦前も労働組合はあったのでしょうか?戦争中は、もちろんなかったのでしょうね。
一番考えられるのは、戦後の5年間のことでしょうか。
徳田球一さんというと、進駐軍を解放軍と言ったということをよく聞きますが、その進駐軍に追放されたのですから、粗忽なところのある人というイメージをどうしても抱いていました。
でも、きっと、大衆的な匂いのあった人なのでしょうね。今の世の中に生きていたらきっと役立つ人でしょうね。
>所感派として追放され北京で客死し、今の日本共産党からは全く省みられない「徳球」ではあるが、この視点の鋭さは組織の官僚主義の根底からの批判として、今でも十分通用するように思う。
>この他表題だけでも「眠り党員の問題」「何をしてよいかわからぬ人々に」「利己心をなくすこと」「党内民主主義の実行」「地区のあらゆる事情をつかむこと」「敵を具体的に明らかにすること」「日常闘争こそ基本的武器」「幹部のための組織は有害」「大衆から学ぶこと」「闘争は孤立してはならない地域闘争へ!さらに全国闘争へ!」「情勢の急速な発展に応ずる能力を養うこと」「大衆は石ではなく成長するものであることを忘れないこと」「大衆に謙譲であれ」「共同する可能性のある全ての人々と可能の範囲に応じて結びつくこと」等など、今の私たちにも耳の痛いことが、簡潔にわかりやすく書かれている。
徳田球一さんを私も見直してみようと思います。
私が所属していた社会党系の労働組合は、春闘や、秋闘が終わると、会社側の招待で飲めや、歌えのドンチャンさわぎをやっていました。それが60年安保の頃から、共産党員が組合活動に参加してきて、宴会は一切やめて、真剣に会社側と対峙して、われわれの賃金をあげてくれたので、以後私は共産党を支持するようになりました。
徳田さんの見た、労働組合がいつのころのものか、気になる所以です。