元赤旗記者の萩原遼氏はその著書の中で次のように述べている。
「北朝鮮だけではない。スターリンのソ連、毛沢東の中国、ポルポトのカンボジア、ホーネッカーの東ドイツ、チャウシェスクのルーマニア。すべて同時代のできごとである。当初社会主義をかかげて出発しながら、行きついたところは虐殺と強制収容所と相互監視、密告、猜疑の地獄であった。なぜそうなったのか。なにがそれを許したのか。なぜ中途で是正できなかったのか。人民の力はそれほど無力なのか。元社会主義国の人民と世界の共産党はこれらの疑問に答えなければならない。これらを分析し、総括する義務がある。その徹底した分析と総括だけが、こうした悲劇の再発を防止する後世への教訓となる」
私の言いたい事が凝縮されている。つまり「こうした悲劇」の源流はマルクス・レーニンに辿り着く。現実に起きている「悲劇」をスターリン主義の一言でかたずけ、教祖はそうは言っていないと、古典を引っ張りだし、延々と引用してみたところで「後世への教訓」に到底結びつかない。
教祖はああ言った、こう言ったというのは、現実逃避の宗教の世界であり、科学ではない。共産党が伸びない一因は、これ等を避け、次のベクトルを指し示していないことにあるように思う。
現実はめまぐるしく変化している。例えば、終戦直後60%あった労働組合の組織率は19%と3分の一に下落している。三井三池闘争のような、総資本対総労働の闘いも二度と起こりえないだろう。善悪は別にこれが実態である。現実を認めてそこから出発しないと先に進まない。共産党もそうだが、現実を是認せず「ベキ論」に拘泥していると、進歩から取り残される。