投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

自身の党活動体験から(年金生活者様のご意見に関して)

2005/10/17 シンタロー 50代 公務員

 私自身、80年代以降半から90年代にかけて党の地域の支部を中心に党員と して党活動に献身した期間がありました。
 この間の経験から申し上げますと、党の活動の実態が機関紙と票を集める営業活動 であるというとらえ方はあまりにも一面的なとらえ方であるように思います。
 私は数年間、地域の居住支部の支部長を経験しました。確かに機関紙や支持拡大の 支部目標などの数値を追求する側面を党活動はともないます。明確な数値を握って目 的意識的に追及しなくては自由分散となり、党がおしゃべり倶楽部や討論サークルに なってしまいます。
 しかし、そういう傾向を回避し、一人一人が生き生きと活動し、なおかつ数値目標 を達成しえる支部を構築しようとの自分なりの創意と努力をかさねました。
 まず、機関紙をもとにした政治情勢の学びや、一人一人の思いや活動を支部活動に 反映させるための三分間スピーチなどの党員中心の支部運営に極力努めたものです。
 そして、支部会議に欠席した党員がおれば早速、翌日の夜の訪問し、一対一のさし で情勢の問題から始まって話しあいを徹底的におこない、一人一人の党員の初心とい う火を絶やさないように対話を積み重ねていったつもりです。
 これを毎週欠かさずこつこつと積み重ねていくことで、支部活動へ結集する党員が いつのまにか増え、いつの間にか目標の数字を達成してしまった経験を何度か味わっ ております。
 いつも機関紙と票の成績をいかにして上げるかということのみがあり、そのために” やれやれ主義”の蔓延で党員の活力が低下していくというスタイルとは、まったく逆 のパターンの支部活動を一時的ながら構築しえたという自負があります。
 しかし、私のこの努力も党の機関の指導方針にはない自分ひとりのスタイルであり ましたから、正直なところ、孤立した努力のようなむなしさを感じざるをえませんで した。そして、最終的には孤立した努力に限界を感じ、支部長を辞退することとなっ てしまったことも正直に告白します。
 しかし、普段は未活動の党員もふくめ一人一人の党員は突き詰めて話し合っていく と、この社会を変えたい、そのために日本共産党の一員になった人たちばかりである ということは私の支部長経験から自信を持って言えることであります。
 党の末端の小さき同士、兄弟姉妹には革新性もあり、社会を変革しようする気持ち が存在しています。この側面から見れば日本共産党は革新政党であり、変革をめざす 政党であります。
 ただ、党組織全体の顕著な傾向として、あまりにも一人一人の仲間の人間としての 悩み・苦しみに、自分のこと以上に関心を寄せる傾向が本当に希薄になっている現実 が蔓延しています。いわゆる”同士愛”という言葉が死語になっている現実をそこに 見ます。
 そしてそれにくわえて、いわゆる成績主義(機関紙や支持拡大等)で個々の党員を 評価するという側面が強く巣くっていることも事実です。
 また、民主集中制のなかにあっては、一人一人の意見や疑問が支部の内部だけに閉 じ込められ、同じ問題意識をもつ党員間の共通の問題意識や意見が形成される場があ りません。上からの方針は流れてきても、下からの声や意見が上級機関へと届かない 構造的な欠陥を持っているのが民主集中制です。まず党員間の横の意見交流の自由や 党の機関紙が自由な発言の場となる改革が最低限は必要です。
 そして、さらに一人一人の党員を本当に同じ志を持ったかけがえのない同士として 愛する”同士愛”の復元が必要だと思います。
 「全党員運動」という掛け声を党中央は以前から発していますが、同士愛を復元さ せ、人間の顔をした、血の通った温かい組織として党を再生させることができれば、 それは実現が可能です。 すべての党員がその持てる力と可能性を党の躍進のために生き生きと発揮する。この ような組織へと変革していけば日本共産党を革新政党、変革の党として蘇生させ、さ らに広範な国民と結びついていくことは十二分に可能だと思います。