投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

<党生活の刷新のために>

2005/10/25 寄らば大樹の陰 50代 苦闘するフリーター

しかるに、党員が組合幹部の地位にすわると、そのイスの暖かさに次第 次第に官僚化されてきている。そして天下り的に政策をおしつけ、これを引きまわし 主義で行いつつある。そうなると、いくら善意であり、その政策が部分的には正しい 場合においても大衆の要求と一致せず、したがって、大衆の信頼を日一日と失うこと なってきたのである。
 組合の幹部は、大衆から学ぶことを忘れて、資本家の側のみを見つめてその出方に 応じようとするため敵に左右されている。かてて加えて、悪いことには、自己の地位 を維持することに傾いていることである。それは、組合幹部の給与が一般組合員より はるかに高く、かつ周囲との交際が小ブルジョワ的であるために、知らず知らずのう ちに利己的になっていくからである。
 さらに悪いことは、組合の事務が第一となり、これだけで組合員を駆使しようとす る傾向に陥っていることである。こうして官僚主義が生まれ、日一日と強くなっていっ たのである。だから、会社の経理を考えて、これに適応するような政策から一歩も出 れないみじめなものとなり、組合員のみならず、平細胞員からも離れている。甚だし きにいたっては、会社の偉い人と組合の偉い人とが同様に労働者にとって有害である と、慨嘆(ガイタン)するようになってきている。この官僚化の傾向は、組合の上級 機関になればなるほど濃厚である。これまで、党の各機関もまた官僚化しているため に、このグループ指導部の欠陥を克服する能力が欠けていたのである。

 これは古本屋で下積みになっていた「党生活の刷新のために」と題した、かつての 日本共産党書記長「徳田球一」の当時30円也のへーパーバックの、(三)「大衆か ら学び日常闘争を組織すること」からの抜粋である。
 所感派として追放され北京で客死し、今の日本共産党からは全く省みられない「徳 球」ではあるが、この視点の鋭さは組織の官僚主義の根底からの批判として、今でも 十分通用するように思う。
 私自身、ただ興味本位で古本屋で購入し、ざっと読んだだけであるがこの部分だけ は随分と気に入ってしまった。
 この他表題だけでも「眠り党員の問題」「何をしてよいかわからぬ人々に」「利己 心をなくすこと」「党内民主主義の実行」「地区のあらゆる事情をつかむこと」「敵 を具体的に明らかにすること」「日常闘争こそ基本的武器」「幹部のための組織は有 害」「大衆から学ぶこと」「闘争は孤立してはならない地域闘争へ!さらに全国闘争 へ!」「情勢の急速な発展に応ずる能力を養うこと」「大衆は石ではなく成長するも のであることを忘れないこと」「大衆に謙譲であれ」「共同する可能性のある全ての 人々と可能の範囲に応じて結びつくこと」等など、今の私たちにも耳の痛いことが、 簡潔にわかりやすく書かれている。
 ただ嘆くだけではなく、この様なことを実践してこそ党であり、組織であり、労働 組合ではなかろうか。
 誰からも見捨てられてしまった薄っぺらな古本に教えられたと言うか、今必要なこ とが何なのか学んだ気がしている。