『世界』11月号を読んでいたら「小選挙区下、いかに第三極を形成するか」
(小林 正弥氏…千葉大)の小論文が掲載されていた。ノーム・チョムスキーがアメ
リカを二台保守政党の独裁国家と規定したように、今日における日本もその傾向に露
骨に陥りつつある。かつての55年体制どころか、オール保守党になったとも言えよ
う。日本共産党も現実的政治勢力でない以上、どんな定冠詞を付けようと、そのシス
テムの中に回収されざるを得ない。
しかし、小林論文は、若干違うニュアンスだったことも確かなことである。つまり
定冠詞に「純粋左翼」という無意味な形容詞を付けていたことである。仮に左翼であ
るならば、または左翼であろうとするのであれば、少なくとも現在の情況をポカーン
と口を開けているだけではないはずだろう。4中総が開催されたと聞くが、具体的な
戦略論を検討したとは聞いていない。
要するに旧態依然とした総括に終始したということだろう、と思っている。これは
決議等を読んでいないので推論の域を出ないが、しかしおそらくはそんなに間違った
ことでもないと思う。そして、それはドラスティックな自己変革、フレキシブルな組
織・運動化に遠い、自民党補完勢力としてのそれだろう。
私は、小林は、中道左派を目指すことを提起しているが、その第3極論を手放しで
賛同する者ではないが、だからといって氏の提起は大筋において正しい提起だと考え
る。「大筋において」と限定したのは、日本共産党を「純粋左翼」と規定していると
ころに異論があるからだ。これは、もしかしたら小林氏の揶揄なのかもしれないが、
スタリーニズム党を「純粋左翼」と言い換えただけなのかもしれないからだ。それで
あるならばほぼ氏の意見に賛成である。中核・革マル、あるいは新左翼諸派が掲げた
「反帝・反スタ」はスローガン的にも、実践的にも(彼らの実践そのものは間違って
いたが、理論的には正かったのであり、「反帝・反独占」という路線はトートロジー
でしかなかったのが、この間の「実践」的結論だったろう。「理論を実践で検証する」
というレーニン主義以下の「科学的社会主義」はそれこそ理論的にも実践的にも既に
破綻している。よって日本共産党は「純粋左翼」どころか社会主義政党としてのイロ
ハにも該当しない政党で、単なる右翼革新勢力の少数「疑似左翼」としての補完勢力
でしかない。もともと第三極を求める気などさらさら無いのだから、やはり
解党・・・(文字化け)・・・
学生のなかにも優れた人材は沢山いるし、青年層においても決して民青のような無
知無能な組織に入りきれない優秀な青年は沢山いる。
第三の政治勢力の構築に貢献できるのはそうした場合だけであろう。
「あかはた」や共産党系印刷所、出版社等々もそのような政治勢力の中でこそその
機能を果たせると私は考える。社会科学研究所なる無内容な研究機関も新たなテーマ
で、幅広い枠のない理論研究ができるようになるだろう。党内外の、または離党した
碩学もその知見と研究の成果を生かすことができる。そうしてこそ第三の政治勢力、
つまりは小選挙区下においても勝つことができる展望を作り出せるというものだ。ス
タリーニスト指導部及び官僚よさようなら。君たちの存在できる場はないのである。