不特定多数の国民の間に兵器が普及すればその兵器の多くは犯罪に使用され、内戦は階級闘争とは全く関係の無い犠牲者を多数発生するという歴史的事実を無視なさるのはいかがなものでしょうか?。
暴力革命と言えば聞こえは良いですが実態は内戦で難民と多数の権力に属さない側の犯罪が多発するのを避けられません。
革命を神聖不可侵のように捉え、どんな犠牲を払っても良いと考えるなら歴史の進歩に逆行します。そうした考え方の延長線上に立つならどんな人権侵害にも無関心になれます。そしてそういう国や人は「最後の一兵まで」戦うことを強要しながら自らの責任には無関心です。
太平洋戦争中、シンガポール要塞に篭るイギリス守備隊に降伏の許可を出し数万の兵員の玉砕を回避させたのはチャーチル首相でした。大英帝国だってこの程度の人権意識はあったのですが、われわれには暴力革命によって発生する無数の無関係な犯罪、難民そうしたものについての責任を考える人権意識は無いのでしょうか?
独占資本に責任を押し付けて自分を正当化しても始まりません。当事者の一員であることからは逃れられないのです。
兵器をばら撒くのは簡単でも統制も管理もとれません。歴史が証明しています。