党員用討論欄のしんさんの9/28の筆坂秀世氏と日本共産党の体質とを読んで驚いています。
党がおかしな処分を始めたのは、1972年の新日和見主義処分からだとばかり思っていましたので、それ以前にもあったとは。
と言うのは、それ以前の処分は、志賀、西沢、大塚等、それぞれの論文が、党の主張と共にある程度掲載され、彼らが何を主張し、どこが問題なのか、納得できた又、党や同盟の会議において、上級機関の決定や方針に対する批判や疑問が、討議され、地区などに相談できてていたからです。
又、全学連の集会等においても、自由な発言がなされていたからです。
しかし、新日和見主義に関しては、誰が、いつ、どのような場所(文書も含めて)言ったのか、又体系的なまとまった根拠は全く示されないまま、党が勝手に、彼らの主張だと、言っている以外は、でて来なかった為、未だに、新日和見主義者が、どのようなものだったのか、分かりませんでした。
しかし、彼らが処分され、結果として、二十数万いた民青が、二万数千に激減した以上処分した側が、間違っていたとしか思えません。
決定は、納得できても、できなくても、無条件で実行する。結果は歴史が証明してくれる。上級機関に、必ず、そう指示してきましたね。
もう、歴史は証明してくれたと思いますが。