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自由と平和を!と叫び、基本的人権?・・そんな自由を与えるはずがないと断言する銀河さんの自己矛盾

2005/10/09 スカンジナビアン 50代 自営業

 ついにというか、やっぱりというか銀河さんは自らの展望する未来社会像に於いて、国民(人民でも良い。以下同じ)の基本的人権や自由を正面から否定しました。(以下引用文での敬称略)
 銀河曰く、
・・基本的人権、それはどんな人権ですか。私的所有を認める事もそうなのですか。生まれたばかりの社会主義を倒す自由も認めるのですか。そのような自由を労働者が与えると考えますか。・・
 そしてしかしながら同時に10月1日の<改憲が迫っている>と言う趣旨の投稿では最後の文末に
 銀河曰く
 ・・平和と自由を!・・
とわざわざ叫んでいるわけです。
 この自己矛盾を一体どう説明するのか?
 ますますもって奇怪な主張なのだがどうやらこれは銀河さんの独特のマルクス論によっているらしい。
 断っておけば私はマルクスは成るほど資本主義経済社会の分析家としては不朽の理論を打ち立てたが、ではその社会をどう変革するかという革命論、もっと根本的には未来社会論という点では、彼らの生きた時代や生まれ育ったドイツの後進性に規定されざるを得なかったのだろうと思っている。
 誰しも未来のことを考え推察するのは現在や過去を分析することに比較すれば、その数百倍も困難であろう。
 彼らの理論もそういった制約から逃れられなかったはやむを得ない面もある。
 そういう意味では彼らの(エンゲルスを含む)革命論(もっと言えば未来社会論)はその成立の初めから彼ら独自の試論(私論でもよい)の域を出ていなかった、、と考えている。
 しかし彼ら自身は、そして周囲の多くもそれには普遍的な意義があると考えてしまった。
 それが後にレーニンの指導するロシア革命とそのスターリン的な変質の悲劇的(惨劇といってもよい)結末へと結びついていった、、そうならざるを得ない本質を元々の、マルクスやエンゲルスの革命論が持っていたと言う事なのだろう、と理解している。 それは逆に言うと、それだけマルクスやエンゲルスの打ちたてた資本主義経済社会の分析理論自体は説得力に満ちた普遍性を持っているということを皮肉な形で証明しているのだろうが。
 (レーニンはそうではなかった・・しかしスターリンはああだっ た・・というレベルの次元の低い議論はもういいかげんやめにした方が良い。)
 マルクスの教条主義者を自称する銀河さんの奇怪な自己矛盾に満ちた議論、革命論はその点では(彼独自の私見を多分にふくんでいるものの)逆に実に分かりやすくそのマルクス的革命論の結末が悲劇的(惨劇と言っても良い)なものにならざるを得ない、、ということを端的に我々の前に示してくれている。
 そういう意味では銀河さんに感謝すべきだろう。
 以下、マルクスの教条主義者を名乗る銀河さんの立場と、彼らの革命論が初めから彼ら独自の試論(私論)に過ぎない(つまりほとんどの変革とその過程は自分達自身の頭で考えだすことになるが)という私の立場を比較しながら改めて銀河さんの革命論を見直してみよう。
 銀河曰く
・・社会主義革命とは一体何なのか。それは生産手段を労働者階級が握る革命のことです。この革命に於いては私有財産を認めません。ここで言う私有財産とは労働者から搾取して得る財産の事です。・・生産手段とは工場や土地のことです。このような革命はブルジョアジーの存在を許さないのです。・・