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一般投稿欄

銀河さんへ(マルクス、レ-ニン、ロ-ザの組織論の違いと歴史的経過)

2005/11/03 風来坊 50代 自営業

 ドイツ社会民主党は、1905年のイエナ党大会規約をほぼ境にして、「官僚的集権」型に転生していく。ロシア社会民主党のレ-ニンは、このイエナ大会の規約改正を、社会民主党の「中央集権化」として、歓迎した。この規約改正の特徴は、帝国議会選挙区単位での党組織の垂直系列化、地方組織の自主権剥奪、中央金庫への20%上納、党執行部の選挙候補者調停権、党員の党組織所属義務化、など。現実には、垂直的にライン化した党組織をエ-ベルトら専従党官僚が、支配し、議員政党化していく。
レ-ニン型党組織
 ツアリ-専制化のレ-ニンのボリシェビキは、ナロ-ドニキの陰謀秘密結社の伝統とイエナ大会規約の「中央集権化」に学び、ロ-ザ・ルクセンブルグが「超集権主義と評した独特の宗派的・軍隊的党組織を形成する。「民主主義的中央集権制は、厳格な「鉄の軍事的規律」の公然たる主張、上級決定の下部の無条件実行、厳しいイデオロギ-的・世界観的統一と異論・離反者の犯罪視、党員の水平的交通及び「分派」禁止、党財政の中央管理と秘密主義、党外大衆組織更には国家組織への党内「伝導ベルト」を通じての指導と支配の確保、などに具体化される。
ロ-ザ・ルクセンブルグの組織論
1 ロ-ザは「ロシア社会民主党の組織問題」の中で、ラサ-ル派全ドイツ労働者協会の「独裁」「極端な中央集権主義」とアイゼナハ派の社会民主労働党「自治主義」を対比し、「自治主義」が労働者階級の偉大なイニシアチブの精神を広範な層に浸透させた」事を評価していた。「分権主義」に反対し、「中央集権主義」一般は否定しなかったが、レ-ニンの「超集権主義」をラサ-ル派になぞらえて批判した。
2 ロ-ザは、独立社会民主党内のスパルタクス・ブンド活動で、「批判と独自活動の完全な自由」を経験した。
3 「官僚的選挙同盟ではなく、経営中心の政治的行動組織」、経営・住区組織の「完全な自立性」、中央指導部の任務は「精神的政治的指導の総括」に限る、地方機関紙に中央が規制してはならない、規約は短文・簡潔で地方組織の最大限の自由を保障する、など「分権」的であり、かつ党自体は自立的経営・住区組織の「連合」として構想するものだった。
4 1919年の規約は、ロ-ザの悲劇的虐殺の後で、ロ-ザは直接関わりえなかったが、その内容からして、ロ-ザの党思想を反映したものと考える事ができる。
・地方組織は「党の原理と党決議の範囲で自立的」で「独自規約」制定権をも
・地方組織は、選挙区単位でなく経営中心で下から組織される。
・党大会は完全比例代表制で、最低年一回開かれる。
・党大会で選ばれる中央委員会への統制監督機関は特に設けないが、選挙リコ-ル制を徹底し、各中央委員(女性、青年代表を含む)は完全に同権で、相互に監視し合う。
・党中央納入は、10%
・地方機関紙は独立であり、中央委員会は編集権に介入できず、反論権のみ
・各級有給専従職員(書記、機関紙部、宣伝部、党務部)の規約明示。
 しかし、1919年3月にロ-ザの意思をついだドイツ共産党代表(エ-ベラン)の反対にもかかわらず、レ-ニン、ジノウ゛ィエフらの強引な指導により第3インタ-ナショナル=コミンテルンが結成され、ドイツ共産党は、そこに組み込まれた。1920年8月にコミンテルン加入条件「21ケ条」採択と12月独立社会民主党のドイツ共産党への合流によって、」1920年規約が作製された。そこでは、「決定の実行」を「党員の義務」とし全ての党新聞の中央による監督、議会フラクションや党費中央上納30%が規定され、中央集権化した。
 翌1921年イエナ大会規約で、「21ケ条」で義務かされた「民主主義的中央集権制」(=最も厳格な中央集権制」「軍事的規律」が、ドイツ労働運動史上初めて、明記された。複数議長制が廃止され、政治局・組織局が設けられ、新たに「規律」の章が入り、「ドイツ共産党は中央集権的党組織であり、自己の隊列内では厳格な規律を保たなければならない。組織とその指導部の決定は無条件に実行されなければならない」と規定された。
 更に1923年の十月闘争の敗北の教訓から「分派や潮流やグル-プの存在を許さない中央集権的な党」「単一の塊から鋳られた一枚岩の党」の欠如が指摘され、「コミンテルン模範規約に沿った組織が強制される。
 ロ-ザの危惧した「早すぎたインタ-ナショナルの結成」により、ドイツ共産党は、ドイツ労働者政党の長い組織的伝統から完全に遊離し、「ボリシェウ゛ィキ化=軍事的集権化を完成する。
・共産主義インタ-ナショナルへの加入条件
 「共産主義インタ-ナショナルに所属する党は、民主主義的中央集権制の原則に基づいて建設されなければならない。現在のような激しい内乱の時期には、党が、最も中央集権的に組織され、党内に軍事的規律に近い鉄の規律が行われ、党中央部が広範な全権をもち、全党員の信頼をえた、機能ある、権威ある機関である場合だけ、共産党は自分の責務を果たす事ができるであろう。
 「共産主義インタ-ナショナルの各大会の全ての決定とその執行委員会の諸決定は、共産主義インタ-ナショナルに所属する全ての党を拘束する。
・プロレタリア革命における共産党の役割についてのテ-ゼ
 「階級が完全に廃止されると共に、初めてプロレタリア-トの政党が必要なくなる。共産主義のこの終局的勝利に至る道程で、今日の三つの基本的プロレタリア組織(党、ソウ゛ェト、産業別組合)の比重が変化して来る、そして労働者組織の統一的型が次第に結晶して来る事はあり得る事である。だが共産党が完全に労働者階級の解消するのは、共産主義が闘争の目的でなくなり、そして、労働者階級全体が共産主義者になった時だけである。
・コミンテルン世界綱領
 「党は労働者階級の最も優れた、最も自覚的積極的で勇敢な成員からなる、この階級の前衛である。党は、プロレタリア闘争全体の総合的な経験を具現している。党はマルクス主義の革命理論に立脚し、全体として、この階級の一般的・長期的な利益を代表することによって、プロレタリア的諸原則、プロレタリア的意思、プロレタリア的な革命的行動の統一を体現している。党は鉄の規律と民主主義的中央集権制の最も厳格な革命的秩序とによって結ばれた革命的組織である。」 ロシア共産党第10回党大会で「分派禁止」の決議、12回党大会規約が、中央委員会に「党の勢力と資金を配分し、中央会計を管理する」権限を与えたために、その後の党財政は、一般党員には秘密で、統制不可能なものとなって行った。財政は中央に集中され、地方組織の自立性は失われて行った。
 党費納入者=一般党員にさえ、財政とその使途が公開されず、監査統制もおざなりになり、民衆と接する基礎組織の自立性が弱められた。
 社会主義国の成立により、民主主義的中央集権制は、共産党の原理から国家・社会の編成原理へと拡延され、「共産党の指導的役割」も国家的に承認された。秘密主義、軍隊的体質を残したまま、政権独占党として、国家財政に関与し、集権的計画経済の指導を一手に引き受けた。そこには党財政にとどまらない膨大なポストと利権の党内配分の問題が生じた。「党の勢力配置」も党指導部の権限であるから、それが「ノ-メンクラツ-ラ」として制度化する。
 共産党に入党こと自体が、国家・社会におけるエリ-トへの独占コ-スとなった。
 「権力分立」原理を否定し、「党と国家の癒着」を体質か結果、特権に寄生した汚職や腐敗が生まれ、それを民衆が制御できなくなるのは、ある程度不可避だった。
マルクス・エンゲルスの組織論
・死刑廃止と除名・除籍制度
・最高機関しての大会と執行機関としての中央委員会
・同盟財政の公開と使途の特定(50%中央財政)
・決定服従義務・組織秘密保持
・党内関係実務化、脱儀礼化
 中央集権だが機能的・実務的平等がはかられ、秘密結社ではあったが宣伝組織の方向を持っていた。