投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

RKさんはじめまして。あなたの意見に反対です。

2005/11/18 スカンジナビアン 50代 自営業

 RKさん始めまして。あなたの投稿を読ませてもらいました。
 RKさんが物事を慎重に熟慮しながら行動されているらしいことに共感を覚えます。しかし私はだからこそ、あなたのようなまじめな方でさえも、彼らの本質を見誤っているのかと、愕然としました。
 もはや彼らの本性をあらわにしてきた無数の残虐事件はそこまで風化してしまったのでしょうか!?30代ということでは、私が当時学生時代に経験してきたことは、あなたにとっては乳幼児の時期に当たるのですね。(現在50歳ですが)わたしは昨日のことのように覚えていますよ。いくつかの事件を紹介しましょう。
 事件1(序章)
中核と革マルが分裂して以来凄惨な内ゲバを繰り返してきたが、その一つの頂点は、私が高校生のころに起きた中核派書記長本多の殺人事件である。革マルはその成果を機関紙で絶賛し、麗々しく言い立てていたものである。(立花隆氏の<中核対革マル>を参照)
 それはこんな風であったと思う
・・我が同盟同志の革命的怒りの鉄槌が(鋼鉄のバールだったという)ポンタ(本多書記長の事)の後頭部に渾身の力をこめて振り下ろされると、ポンタの腐りきった脳髄が飛び散り、・・只その醜いむくろがピクッピクッと痙攣するのみ・・
 明白な殺人事件を大戦果と得意げに書き立てているのですよ。
 勿論自己批判など革マルはしていませんよ。殺人と殺人幇助ですよ。

 実体験
 私は田舎から関東の内ゲバで有名なY大学に入学しました。
 その大学では一部文系サークルに4トロ(第4インター)がいたものの、学内はほぼ革マルが牛耳り全中委(学内各自治会の連合体だというが実体が無い)を名乗っていた。
 しかし彼らの勢力は余り強いものではなく、そのため、学外からの他のセクトの<侵略>がよくあり、それにに対して、革マルが対抗すると言った具合だった。
 事件2
 私が1年生の頃、大学の学生食堂(2階)でそれは起こった。
 たまたまサークル間の話し合いがあるということで、私もその席に先輩と一緒に同席していた。会議は革マルが主導して行われていた。
 ところがそのとき、ノーヘルメットながら、覆面をした集団が食堂に乱入してきたのである。(20人くらいだったと思う)
 2人の革マルのうち、1人は(AB)アメリカ映画よろしく2階の窓を打ち破って外に飛び降りて逃走したために逃げることができたが(出入り口は勿論彼らが封鎖していた)もう一人は厨房に逃げ込んだ為、行き止まりで、彼らにつかまり(ST)、衆目の中で、鉄パイプで滅多打ちにされてしまった。彼らが去ったあと恐る恐る私たち学生が近寄って生死を確かめると、低くうめいたので未だ生きていることを確認できた。彼は一命をとりとめた。
 これは社青同解放派による襲撃だったとのことである。彼らは神奈川大学を拠点としていた。

 事件3
 それは私が大学を中退した後に起こった。(1977年秋)
 新聞報道によれば、深夜に革マル派10数人が立て看板などの宣伝物を作っていた所に、中核派数十人が突然襲い掛かり、鉄パイプでの大乱闘になったと言う事件だった。(共に学外からの動員だったという。)翌朝、学生達が登校してくるとあちこちの草むらに血だるまの者が倒れてうめいていたと言う。報道によれば教育学部の音楽棟の近く、通称南大門から入ってきたあたりだった。
 倒れていた者達がどちら側かはわからないが、(革マルは間違いなくいた)どちらも倒れて逃げ遅れたものを集中攻撃したと思われる。
 問い合わせたら、皆手当てを受けたが後に死亡者が出たと学内に残った仲間が言っていた。
 これも明白な殺人事件ですよ。(両派のね)

 事件4
 それは学内ではなく路上で起こった。2度目の大学入学後の頃、1978年頃だったと思う。
 彼らは通称装甲車というものを使用する事があった。(機動隊が良く使う物と思えばよい。)対立するセクトに万一襲われても、窓は金網でカバーされており、ガラスは破られても内部は守れるというものだ。あるとき、革マルの装甲車が踏み切りで停止していたところ、(踏み切りなので前後車にはさまれて動かせない)密かに通常の車で後をつけていた中核派の襲撃対が突如襲い掛かり、ドアをしっかり閉め、(マイクロバスと思えばよい、つまり出入り口は一箇所だけ)固くガードしていた革マルの装甲車の窓を破り、(それだけでは内部に侵入できないが)なんと、内部にガソリンをぶちまけて、火を放ったのだ。たまらずドアをあけて逃げようとしたものたちはまちかまえた中核派の鉄パイプの滅多打ちにあったのは言うまでも無い。(窓は金網なので窓からは逃げられなかった)
 この事件で勿論何人かの死者がでた。その中には、食堂から逃げおおせた、ABも含まれていた。
 これも明白な殺人事件ですよ。勿論戦果を誇り、自己批判などしていませんよ。
 そして不思議な事に誰も殺人犯として逮捕断罪されていないのですよ。(だからおよがせなのですよ。)これらはほんの一例でしょう。
 だから、私は革マル、とか中核とか聞くと、この人物は殺人事件に手を染めてきたんだろうなと、どの事件に関わってきたのかなと疑います。どの事件も用意周到な集団的組織的犯罪なのですから。
 学内で名を知られた活動家は、学内では目だった襲撃などはしないものです。いい顔をしているわけです。(だまされてはいけない!)
 そしていざとなったときは、学外(当時は早稲田が拠点だった)の仲間に指示し、学外動員をかけるわけです。勿論自分達も、他大学に学外動員として、集会や襲撃隊の要員となって暴力(時には殺人も)行為を働くわけです。彼らの戦術は非常に巧みで歴戦のプロです。(殺人者でもある)失礼ですが投稿を読む限り、あなたのようなまじめ一途な方が到底かなう相手ではありません。(言論・結社の自由とかの問題ではないですよ。)
 大変な思い違いをされているようです。
 ちなみに、私の得た情報では、ABは死亡、STは回復、SR(大学祭実行委員長だった)は廃人、同級生だったKWも廃人、、と惨憺たる有様です。(勿論中核も同様だろうが学外者なのでなまえはわからない。廃人が多いのは頭部を狙われる事が多いからか)
この投稿はあなたの大学のMLに流しても良いですよ。