自衛権が武力を持つことによってほかの諸国に威圧するため、もしものため、同じことだが抑止のためというなら、諸外国のわが国に対する武力行使による侵略の根拠を明らかにしなければならない。
もし、諸外国が武力を持っているだけでわが国に対する侵略の意図をもっていると判断するならば、それでわが国も武力を持つというなら、わが国の武力が他国に対する侵略の意図をもっていると判断されることである。
要するに矛盾だが、アメリカでも中国でも、軍隊はどこであってもひとつの需要である。すなわち、軍需産業の消費市場である。だから、どうして自衛隊が聖域のまま残っているのかといえば、もっともらしい理由をつけてその予算が多くの軍需産業に潤いをもたらすからである。
では、日本の独立をその観念的な観点から考えればどのような結論が出てくるか。それこそ、中国の脅威だ、北朝鮮の脅威だ、テロリストの脅威だ、という理由による軍需産業と軍隊の聖域化だ。
それでは、日本の自衛権というものはいったい何か。
観念的に言えば、日本の独立を守ることである。
ところが、日本は、物質的に考えれば、日本独自の独立というものは観念的なものに過ぎない。
貿易によって石油をはじめとするさまざまな商品を輸入しなければならない。
日本の独立を物質的な観点から考えれば、世界平和をもたらす世界各国の非戦闘・非武装であり、戦争によって生産物を浪費しないことによって達成するところの生産関係である。
資本主義的な生産様式から生まれる諸矛盾を戦争で一時的に解消する方法をアメリカが取ってきたのを、あの小泉が協調している。
そのために、どうしても日本国憲法九条が邪魔になってきた背景がある。
その背景が、たとえば消費税の増税をやろうとしていること、できるだけ国民の負担を増やすような方策を考えていることによって現れている。
生産が増大しないのにどうやって儲けを増やすのか、その方法が小泉の改革で行われようとしている。要するに、今失業していない多くの国民からできるだけ貨幣を抜き取ることである。
「いまや世界市場には、ただ貨幣だけが商品だ!という声が響きわたる。鹿が清水を求めて鳴くように、彼の魂は貨幣を、この唯一の富を求めて叫ぶ。」(大月書店 資本論第一巻180ページ)
剰余価値としての貨幣は、多くの国民が銀行などの債権として持っている。それをどうやって抜き取るのかといえば、増税が一番手っ取り早い。
無論、国民に他国などの脅威をあおって、自衛権云々をマスコミが大宣伝して、自衛権のための軍隊を聖域にしたいのは、それなりの銭勘定があるからだ。