1. 共産党は、「考える」人間の集まりというよりも、「信じる」人間の集まり、すなわち一種の信仰の共同体である。共産党では、党を「信じる」者だけが党員であり続けることができ、自分の頭で「考える」者は党内では冷遇され、やがていたたまれなくなって離党するか、あるいは最悪の場合、査問・除名・除籍の憂き目に遭う。この事実は、党員経験のある人ならば、誰でも痛感することである。
2. 共産党の候補者は、自分の頭で物を「考え」ず、ただ党を「信じて」いるだけなので、どの候補者の演説も言うことがまったく同じで個性がなく、いわゆる金太郎飴候補とかクローン候補と皮肉られてしまう。
共産党員は、異なる思想や学説・見解に関する知識、そして対話や討論の経験が党幹部を筆頭にして絶対的に不足している(=純粋培養されている)ため、視野が狭く、視野が狭いことの自覚がなく、組織が大きい割には論客がまったく育たない。
また共産党の候補者の多くは、常に同じような「笑み」をたたえながら有権者に語りかける。演説の内容が、たとえ重大・深刻な政治・社会問題であっても、である。この笑みを仮に「共産党スマイル」と名づけよう。なぜ共産党の候補者の言葉や顔は、憤怒に満ちていないのか?この「共産党スマイル」は、共産党は今の政治や社会に、実は心底から怒っていないことを示すものであるとしか私には思えない。本音では今の政治に心底から怒っていない政党が、「確かな野党」であるはずがない。今の政治に心底から怒っていないから、共産党は本音では党の現状に安住してしまい、何も新しい有効な路線や方針を考え出そうという気持ちがわかないのだ。この「共産党スマイル」は、さながら新興宗教団体が、入信者を勧誘するときの笑顔のようで、はっきり言って私にはキモイ。
3. 企業とか政党という組織は、本来、何らかの事業や目標の達成を「目的」とし、組織自体はその「手段」に過ぎないはずである。何らかの事業を達成するために、人々は組織を形成するのである。ところが共産党の場合、組織の維持・存続のほうが、今日では「目的」と化してしまっている、といってよいだろう。組織の「手段」から「目的」への倒錯は、共産党の組織が、社会学の用語を用いれば、「ゲゼルシャフト」(=近代的共同体)ではなく、「ゲマインシャフト」(=前近代的共同体、すなわちムラ社会)と化していることを意味する。
組織自体は事業達成の単なる「手段」に過ぎないと考えれば、成果が思うように上がらなければ組織形態の変更や他の組織との合併、組織名の変更などをためらう理由は何もないのだが、共産党は組織の維持・存続自体が「目的」と化してしまっているので、組織(名)の改変など思いもよらないのである。
さらに共産党では、不破氏の常軌を逸した現実逃避の執筆活動が示すように、マルクス、エンゲルス、レーニンを事実上、神聖化しているので、共産党は特定の思想を信奉する前近代的共同体、すなわち擬似宗教団体とみなされても仕方がないのである。今の教祖はいうまでもなく、不破哲三氏である。
4. 「共産党は、実は今の政治に心底からは怒っていない」という点に関連して重要な指摘をしておこう。それは「共産党が今の政治に心底から怒っていない」のには大きな客観的・社会的理由がある、ということである。すなわち、バブル経済崩壊後の平成大不況により失業率は5%を超え、失業者は300数十万人にまで達した。また終身雇用制や労働法の破壊による非正規社員の増大等により不安定・低賃金労働者が激増し、また税制の改悪により日本の所得格差の拡大が大きく進行した一方で、労働組合組織率はついに20%を割り込んだ。このため日本に、膨大な未組織の貧困層が、共産党支持層のさらに下層に新たに大量に発生した。その結果、従来からの共産党支持層の社会的地位が相対的に上昇してしまい、共産党の支持層は、今日では日本の階級・階層構造全体の中では、もはや必ずしも「弱者」とはいえなくなってしまった、ということである。とりわけ党員歴の長い熱心な共産党員ほど、市場の厳しい競争原理から比較的離れた位置にある、あるいは労働組合によって守られている正社員労働者や安定した年金受給者であることがほとんどであろう。彼らは、・・・(文字化け)・・・。
今日、憂慮すべき事態は、この新しく発生した貧困層が、共産党や社民党の支持者となるのではなく逆にそれに憎悪し、さらに社会の更なる「弱者」や「マイノリティ」を差別・憎悪・攻撃するネオコン化、ネット右翼化していることである。この問題に関しては、『論座』12月号の論文で辛淑玉氏が論じているので、是非ともお読みいただきたい。