尚さん>マルクスでもレーニンでも皆過去の蜂起の失敗を研究し、具体的な考察を文章で残しています。
>皆「暴力革命不可避」とか「真実はひとつ」などと言って片付けてはいません。
> 弁証法的唯物論に於いては「絶対的真理」というものを否定しており、現状に即して条件を設定する事が必要だと思っていたのですが。
「現状に即して」というなら、確かにボルシェビキはエスエルと違って、テロ否定派であり、その意味では革命前は穏健派に思われていたのではないかと思います。第一次大戦がなければ、エスエルもメンシェビキもボルシェビキも全く違った形にはなったでしょう。レーニンの戦術自体が変わっていたはずです。また、レーニン自身の経済への考え方も革命後においても更に変わっていったのではないかと思います。
> 指揮労働とはヒト、モノ、カネを組織する事であり、円滑な労働の遂行には強制力が必要となります。就業規則、軍務規則、業務命令、命令、こうした事柄が守られるには懲戒免職や銃殺刑といった強制力が存在しかつ、大多数の構成員つまり被支配者階級によって強制力を指揮労働者階層が保持すると言う事を承認されなければなりません。
これは全てをそのまま認める訳にはいかないよ。それをただ単に認めるだけなら、階級社会を肯定しているだけです。規則が必要なのは認めるが、誰のための規則なのか?
> 水は船を浮かべ船を覆すという言葉がありますが船を浮かべるように指揮労働者階層の権力を私達は承認していると言えます。
承認してなくても従わざるを得ない現実がある。
> 支配階級とは指揮労働者階層の一部が転化した姿に他ならず、不可避的に形を変えて出現すると思われる。ホリエモンが堂々たる資本家である事は誰もが知るところであるが同様に一生懸命指揮労働をしたと言う事も厳然たる事実である。
それはそうでしょう。しかし、ホリエモンは誰のために何のためにその指揮労働をしたのでしょうか?自分にお金が集中するために指揮労働をするのと、社会全体に利益に還元するために指揮労働をするのは同じではないですよ。
いつの時代も支配層は指揮労働はやっていたのです。しかし、それが誰のために何のためにしているのかが問われなければ、ただの現状追認になってしまいます。
もちろん、革命権力の指揮労働にあまり楽観的な期待をしすぎれば、またソ連や中国の二の舞になるのは目に見えてます。労働者が権力を握るといっても、指揮労働ばかりの「労働者の代表」党と指揮労働と生産活動の両面を保持する労働者の対立は起こる可能性は大でしょう。
円滑な労働の遂行のための強制力も指揮労働のみの者による一方的なものから、可能な限り生産活動に携わる者のヘゲモニーが確立され、双方向で民主的なものにならなければ、革命の意味はありません。生産効率だけを自己目的化してはならないのです。それでは、前の資本家支配と一緒ではないですか?
この意味ではロシア革命や中国革命は完全に失敗したといえるでしょう。
スカンジナビアさん、RKさん 中核は確か2000年代にも小西、白井など自派のメンバーの脱退派を襲撃してますね。中核は革マルとの内ゲバを批判した第四インターまで襲撃しており、その反省など全くやっていません。日本版「赤い旅団」のようなファシスト集団を信頼していけません。彼らがせめて過去の殺戮を反省するなら良いでしょうが、他党派殺人襲撃を賛美する限り妨害者でしかない。
やすしさん マルトフとレーニンは親友だったようですね。いや、時代が違っていればあんな別れ方はしなかっただろう。私達は思想は違っても内ゲバ派ではないし、今後もさざなみ投稿者の皆さんが仲良く議論していけたらいいなと思ってます。