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一般投稿欄

ロ-ザ・ルクセンブルグについて(寄らば大樹の影様)

2005/11/06 風来坊 50代 自営業

 「ロ-ザ・ルクセンブルグを論じる時、単なるSPD的な社会民主主義・議会制民主主義を引き合いに出すのもおかしいいし、レ-ニン批判に彼女を持ち出すのも変なのです。」と言っていますが、レ-ニン=コミンテルン型の「社会主義」が破綻した今、レ-ニンに批判的立場の人から、今後の新しい展望を考える上で、ロ-ザ・ルクセンブルグか左翼社会民主主義者オット-・バウア-の名前が出てきます。加藤哲郎氏、宮地健一氏、その他ヨ-ロッパなどでも、例えば、「ロ-ザ・ルクセンブルグの構想した党組織」の中で、加藤哲郎氏は、
1 ロ-ザの党組織論の復権
19189年東欧革命によって劇的に崩壊したものは、レ-ニン=コミンテルン型の共産主義前衛党、とりわけ「民主主義的中央集権制」の組織原理である。その「一枚岩主義」は、万人解放を目的とした運動が、全般的抑圧手段に転化していくさいの、媒介であった。
 レ-ニン=コミンテルン型の共産党の支配が打倒されることによって、早くからレ-ニンとボリシェビキの「超集権主義」を批判してきた、ロ-ザ・ルクセンブルグの組織論、「ロシア社会民主党の組織問題」(1904年)や「ロシア革命論」(1918年)におけるレ-ニン批判が、クロ-ズアップされている。
たとえば、旧東独ML研究所(現労働史研究所)のY・スロ-ンが、1920年代ドイツ共産党(KPD)の「ボリシェウ゛ィキ化」かつて東独歴史学が「反共主義」とレッテルをはってきたH・ウ゛ェ-バ-の大著が述べていた通り、やはり「スタ-リン主義化」ではなかったか、と自己批判的に問う時、ロ-ザのレ-ニン批判が想起される。スロ-ンは、1925年にKPDが「コミンテルン模範規約」を強制される起点に、レ-ニンの「コミンテルン加入条件21条を」を見出し、その組織原理への先駆的批判者として、ロ-ザ・ルクセンブルグに光をあてる。
 ロ-ザのレ-ニンに対する批判は、社会民主主義者としてではなく、共産主義者としてのものであり、地方組織は、選挙区単位(SOD型)ではなく、経営中心に下から組織されるとしていることからも議会主義ではない。
 「議会主義は-民主主義の発展や人類の進歩や、そうした類の美々しい事柄の絶対的な所産であるどころか-むしろブルジョアジ-の階級支配の歴史形態」であり、議会が社会民主主義の登場を前にして、ブルジョアジ-と封建勢力の妥協の場になって以来「生命を失った精神の荒野と化した。
 「議会制が資本主義社会にとって、あらゆる内容を失ったとすれば、新興の労働者階級にとっては、階級闘争のもっとも強力で不可欠な手段の一つとなった。ブルジョア議会制をブルジョアジ-から、しかもブルジョアジ-に対抗して救うことが社会民主主義の差し迫った政治的課題の一つなのである」(社会民主主義と議会主義)確かにロ-ザは「行動へ」を訴え街頭闘争を訴えたが、大衆の自発性や大衆運動への限りない信頼があった。
 レ-ニン=トロツキ-が意味する独裁理論の暗黙の前提は、社会主義変革とは、その為の完成した処方箋が革命政党の鞄の中にあって、それをただ全力をあげて実現させさえすればよいことだ、ということだ。だが、残念ながら、-あるいは場合によっては、幸せなことに-そういうものではない。経済的、社会的、法的制度としての社会主義を実現することは、適用さえすれば、よいような完成した処方箋を寄せ集めることとは、およそ異なって、全く未来の霧に包まれた事柄なのである。われわれが綱領として持っているものは、処置をとるべき方向を示すごくわずかな道標にすぎず、しかも主として否定的な性格のものなのである。社会主義的経済への道を拓くためには、まず最初に何を取り除くべきかのおおよそについては、われわれは知っているが、他方、社会主義的原則を経済法律、全ての社会関係の中に導入する為に、いかなる種類の大小さまざまな無数の具体的、実践的な処置をその都度とるべきかということについ・・・(文字化け)・・・
 どんな社会主義政党の綱領も、どんな社会主義教科書も説明していない。これは欠陥ではなく、これこそがまさしく科学的社会主義のユ-トピア的社会主義に対する長所である。つまり社会主義的社会制度とは、経験という独自の学校から、生きた歴史の生成から、機が熟して生まれてくる歴史的な産物であるべきものであり、また歴史的な産物であり得るものであって、この点では有機的な自然と全く同様であり、結局その一部をなすものであって、現実の社会的な要求とともにその要求を満たす手段を、課題と同時にその解決をもたらすという美しい習慣をもっているのである。しかしそうだとすると、社会主義はその本質からいって強制されたり、指令によって導入されたりするものでないことは、明らかである。社会主義は一連の強制処置を前提としている。-私有財産などに対しては。否定、破壊は命令することができるが、建設、積極的なものの創造は命令できない。処女地。無数の問題。ただ経験だけが訂正し、新しい・・・(文字化け)・・・。  ただ何の拘束もない、湧き立つような生活だけが、無数の新しい形態を、即興曲を考え出し、創造的な力をもち、あらゆる誤りを自ら正すことができる。自由を制限された国家の公共生活は、民主主義の排除によって、あらゆる精神的な豊かさや進歩の生き生きした源泉を塞いでしまうからこそ、息苦しく、惨めで、形式的で不毛なものとなる。そこでは問題は政治的なことだったが、経済的、社会的問題でも同様である。全人民大衆がそれに参加しなければならない。そうでなかれば、社会主義はごくわずかな知識人たちのよって机上から命令され、強制されるようなものになろう。
 無条件に開かれた公共的統制が必要だ。そうでなければ諸経験の交流が新政府の役人たちの閉鎖的内輪でしか行われないことになろう。腐敗は避けがたいものとなる。社会主義の実践は数世紀にわたるブルジョア的階級支配によって人間的に貶められてきた大衆の全面的な精神的変革を求める。利己的な本能の代わりに社会的本能を、怠惰の代わりに大衆のイニシアチブを、あらゆる困難を乗り越える理想主義を、等々。
 レ-ニンほどこのことを知り、徹底的に語り、執拗に繰り返してきたものは他にはいない。ただ彼は完全に方法を間違えている。命令、工場監督官の独裁権力、厳罰、恐怖の支配。これらは全て一時的な間に合わせである。こうした再生への唯一の道は、公的生活という学校そのものがもたらす訓練、無制限な広汎な民主主義、世論である。まさに恐怖の支配こそは、志気を沮喪させ、頽廃させるもとだ。(ロシア革命論)
 寄らば大樹の陰様の言うように、ロ-ザのロシア革命論には、レ-ニンに対する賛辞があります。しかし、コミンテルン型の「社会主義」政権が、次々と崩壊した中で、ロ-ザの指摘した問題点が、ロシア革命論を読んでいくと彼女の先見性に驚愕するばかりです。コミンテルン型の社会主義政権が崩壊する前だったら、あなたの主張も納得できるのですが、チェカ-、その後のKGBの恐怖政治で政権を維持してきたレ-ニン主義がそれほど価値のあるものなのでしょうか。
 確かにロ-ザの民族自決権に対する見解には、私も納得できません。被抑圧民族の民族意識に対する過少評価が、あるように思えます。また、全ての土地を農民へのスロ-ガンのナロ-ドニキのスロ-ガンの盗用、その結果として革命の敵を増やしたという評価及びブレスト講和に対する彼女の見解は、正しいかどうか判りません。しかし、党組織論及び社会主義建設に対する大衆の参加に関しては彼女の見解の方が正しいのではないでしょうか。