暴力革命は必至であるというのは「国家と革命」でしたか。しかしそれを唯一絶対の真理であると主張するなら、過去の革命が国民弾圧と内戦がつき物だった事も当然ご承知のことと思いますが、そうしたデメリットや実際に当たってのさまざまな問題について少なくとも考えることが必要だと思います。マルクスでもレーニンでも皆過去の蜂起の失敗を研究し、具体的な考察を文章で残しています。
皆「暴力革命不可避」とか「真実はひとつ」などと言って片付けてはいません。
弁証法的唯物論に於いては「絶対的真理」というものを否定しており、現状に即して条件を設定する事が必要だと思っていたのですが。
暴力革命のデメリットについて考えることは「社会主義建設にそぐわない」と退け、実施に当たってのさまざまな障害には「今はそんな事を議論すべきではない」と片付け、その結果どんな社会になるのか?と言う疑問には「改良主義者と話す言葉は無い」と一蹴する。まことにもって革命的誠実さを具現化しており、少しでも相手と一致点を取り、運動に人を組織しよう、理解を取り付けようと考える方の態度とは私には見えない(私が革命的ではないからでしょうか?)。
数学の問題においては答えは一つでも解法は複数存在する事が出来ます。まして実社会に於いては採れる解法などいくらでも存在する筈です。