零細投資家さんの「2005/12/25」の投稿文には、見過ごすことのできない文面がありました。
「その手を血で汚した、反左翼・反革命の暴力犯罪者集団そのもので、その本質はエセ革命的言動を弄しながら左翼・革命運動とは、なんら関係の無い警察権力と癒着した汚辱にまみれた反左翼・反革命集団です」
このように、自己と相容れない言動を行なう人達に対して、なんら具体的な根拠もなく「警察権力と癒着」などという、事実に反した誹謗中傷を行なうのは、非常に失礼な言い方ですが、独裁者スターリン、そして革マル派や、そして、ここにも常連として登場している「反戦・反ファシズム」氏のやり方と、全く同じものだと判断でざるをえません。
革マル派は、自分達と敵対する新左翼党派の人間のみならず、自分達を支持しない無党派の人達、さらには大衆運動の人間など、さまざまな人達に対して「権力のスパイ」という誹謗中傷を、なんら具体的な根拠もなく浴びせてきました。
また「反戦・反ファシズム」氏は、自己と相容れない主張を行なったスカンジナビアさんやバルタさん、その他の多くの人達に対して、ここ「さざなみ通信」のみならず、他の多くの掲示板で「カクマル」だの「右翼のスパイ」だの「公安のスパイ」だのと言った、根拠のない誹謗中傷を浴びせてきました。
これらのやり方は、零細投資家さんが非難してやまないスターリンが、かつてトロツキーをはじめとする左翼反対派に対して浴びせた「帝国主義の手先」などの誹謗中傷、このやり方と、全く同じものだということを、見なければなりません。
残念ながら、零細投資家さんの文章は、革マル派や「反戦・反ファシズム」氏と全く同じ手法が用いられているということを指摘せざるをえません。これでは「どっちもどっち」でしょう。
ここで、多くの人達に理解してほしいことは、日本共産党が歴史的にみて、なぜ支持層を広げることができなかったのか、その原因の一つとして、「ニセ『左翼』」や「反党分子」に対する恐るべき非寛容性があるということなのです。
「ニセ『左翼』」や「反党分子」に対して、きわめて寛大だった旧社会党(旧社会党の国会議員、地方議員のなかには、大衆運動現場で中核派などとの共闘関係をつくってきた人達がいる)よりも、「ニセ『左翼』」や「反党分子」に対して、きわめて排他的な態度を貫いてきた日本共産党のほうが、選挙においても、労働運動現場においても少数派にとどまってきたのはなぜなのか。
なぜ「日本共産党は怖い」というイメージが、多くの人達のなかで存在し続けてきたのか、これは「反共意識」一般では説明しきれないものがあるのではないか?