このかん、新左翼党派の「内ゲバ」が非難されている。むろん、 「左翼内部の内ゲバ」一般については、いかなる意味でも弁護する べきではないだろう。
が、その場合、そうした「内ゲバ」にはかつて日本共産党も手を
染めていたということを指摘しなければならない。所感派と国際派
の分裂の時にも、暴力事件はあったし、70年全共闘運動当時にお
いても、全共闘の学生に対して「黄色のヘルメット」をかぶった民
青の学生による暴力事件はあった。
海外に目を向けても、スペイン内戦においては、共産党勢力によっ
て、POUMUやアナキストが血の海に沈められたりした。
そうした過去の左翼内部の暴力事件を真に根絶するためにこそ、 柔軟な統一戦線を構築して、そのなかで過去の誤りを根絶していく 以外にないのではないか?
「排除」一般は、決して左翼内部の暴力事件を根絶することには つながらない。人間には「変革の可能性」というものが存在するの ではないか?
なお、「中核と革マルの内ゲバ」については、スカンジナビアさ んが引き合いにだしていた第四インターも、かつて『革命的暴力と 内部』という小冊子で「内ゲバを最初に仕掛けたのは、革マル派」 と指摘しているということを、ここで付け加えたいと思う。