自らの戒めとして皆さんに訴えたい。
非正規雇用の拡大、貧富の格差拡大、年収200万・300
万時代の到来、ニート・フリーター、官から民への民営化攻撃
、とどめのない規制緩和、リストラ・賃下げ、労働組合解体、
厚遇問題、丸投げ、マネーゲーム・株博打の横行、社共解体、
小選挙区制等など数えればきりがない、これらは昔ならみんな
大事件だった、それが今いとも簡単に変えられてしまっている
。
更にこの後に、「戦争のための改憲」や教育基本法の改悪、
弱者切捨て・抹殺の増税等恐ろしい攻撃がてぐすね引いて待ち
構えている。
今やユーラシア東端のかつて豊かで温和な国は、グローバル
ゼイションの名の下、巨大な国際的金融資本の格好の餌食とな
り浸食され、変質させられてしまった。
それによって私たちの先達の闘いによって勝ち得たものの大
半を吐き出してしまっている。
もとよりこの根本原因は、日本と言う弱小帝国主義国家の労
働者・大衆さえまともに食わせられなくなったという行き詰ま
り、破産的危機にあるが、国家財政をこれまでの破滅に追い込
み、政治から自立性さえ奪ったのは、やはり小泉政権であり、
トヨタを始めとする勝ち組資本といわざるを得ない。
そしてそれに何ら抵抗も組織しない、私たち自身の余りにも
のひ弱さの結果である。
歴史をひも解けば、国家の存亡の危機には、下からの逞しい
民衆の決起が連動し、革命であれなんであれ、新しい勢力が形
成され、新しい社会が構築されてきた。
しかし今、この日本にはその様な展望があるのか、期待出来
るのか。
行うべき勢力や政党が萎縮し、その使命を放棄してはいない
か?
まさしく四面楚歌、希望の芽も無残にも刈り取られてしまっ
ていないか?
思えば隣国・韓国の民衆と労働者学生の闘いのことである。
植民地支配から解放されてすぐ、東西冷戦と言う外圧の下に
同胞が合い殺しあう朝鮮戦争の悲劇を味わった。
しかしその後、いかに外圧が加わろうと、軍事政権の弾圧が
あろうと、いかにおびただしい血が流れようと、若き学生は常
に闘いの最先頭に立ち、若き労働者はその中心を担い、民衆は
それを取り囲んで防衛した。
斉州島で、光州で、慶州で、ソウルで、その大学で、工場で
、街頭で、公園で闘いがあり、今も続けられている。
そして未だ不十分と言え、民主的政権を我が手で勝ち取り、
政府の抑圧には敢然と立ち向かっている。
私たちは明治維新以降、自らの手で変革を勝ち取ったことが
ない、自らが自らの力で自らの未来を得たことがない。
今、私たちには帝国主義本国の労働者として、韓国の労働者
や学生のように、血を流し傷つく事をいとわず、闘う覚悟があ
るのか、ないのかが問われている。
しかし今、私たちは情けない事に未だ、2周・3週遅れのラ
ンナーで満足している、それに気づきさえしていない。
争いを恐れ、友人に連帯の手を差し伸べる事すら拒絶してい
る。
闘いは人と人との触れ合いから出発する、ここ数週間、韓国
の若者と接して改めてそのことに気づかされてしまった。