党員の討論欄に沖縄に学んで、広範な共同をと言われている。共産党が社民党に「政党間協議」を申し入れたのを機会に、と。全く賛成であるが、物には順序がある。1/7の『赤旗』記事・新社会党への回答で、「憲法改悪阻止の共同の可能性」のための率直な協議の要請を半年にして断った。三点の理由をつけて。
この理由そのもので、社民党とは共闘できないはずだ。部落解放同盟は全国大会や中央集会で民主党と合わせ、社民党を来賓で呼んでいる。「癒着している」。新社会党などは絶対に呼ばれない。ちなみに唯一新社会党を招いている広島の解放同盟でも、来賓挨拶は社民党と並列である。
また、来賓挨拶で「密接な関係」「一体」と言うなら、政党としては共産党だけを呼ぶ全労連を「共産党と一体」「密接な関係」と言ったら、どんなに全労連や共産党の人たちは嫌がるだろうか?全労連と共産党との関係は大会来賓だけの関係だけではないが・・・。
「党利・党略的」など失礼千番極まりない。
かつて自分たちが少数派の頃、「共社」共闘と言い、共闘の申し入れをして拒否されたら直ちに機関紙やビラで罵詈雑言を浴びせ、社会党の議員や候補者が首長選に社共共闘で出るとなったら、党籍はずせ、党役員やめろ、あとで絶対に議員選挙に出るなと念書を書けと迫った。だのに今は平気で、「共産、新社会」の順番。落選後、平気で共産党の各級議院選挙に出る。どちらが党利・党略的か!
私は新社会党機関紙『新社会』の読者だが、過敏な反応をせず、広範な統一を新社会党は望んでいるようである。
しかし、書いていいのかどうか知らないが、この記事がもとで三月にせまった京都府知事選挙では新社会党は革新側の女性候補者をすんなり推薦できないようである。当然であると思う。
この赤旗記事への対処なく、社民党への協議申し入れ等二重に失礼なのであることを感じないのだろうか?福島党首がいいこと言っても、社民党は地方や労組に行くときわめて反響意識が高く、共産・社民・新社会の何らかの形の共闘が出来ている地方・地域は、新社会党員が人知れず苦労し、くっつかないものをくっつけているのが実状ではないだろうか。共産党本部に、猛省を促したい。