共産党は新社会党からの共闘申し入れを断る一方で社民党に共闘申し入れをしているとの報道がなされています。
結論を先に言えば、社民党に共闘を申し込んだことはもちろん評価しますが、新社会党からの共闘申し込みを断ったことは不当であると考えます。
百歩譲って部落解放同盟が反民主的であったとしてもです。(必ずしも私はこれが100%正しい命題だとは考えません。
それに、どんな問題点があろうが、いまだに差別が消滅していないなかで被差別部落大衆の多数を組織して、影響力を行使しているからです。
差別がなくなっていないことは2ちゃんねるを見ればわかります。
そして、部落大衆の少なくとも多数を「日本の支配階級」の中に含めることなどできるはずがないことです。)
これは共産党の指導部・幹部の党運営が反民主的であるからと言って「一般党員がこれらの反民主的幹部を放り出して民主的体制を作らない限り共産党は民主的団体とは言えず共闘の相手とすべきでない。」と社民党の関係者や無党派の市民団体が言うとすれば不当なのと似ています。
もうひとつの理由は例えば神戸市長選挙などでは共産党と新社会党の共闘が何度も成立(もちろん空港反対運動で共闘した結果として)した例があることです。
神戸においてだって「党合同」が問題にならない(つまり主張などには違いがあるのが当然とされる)中で共闘したということは「神戸空港阻止が最重要」となったときには「政党間の共闘条件は存在しない」はずの共産党と新社会党の間で共闘が可能となったわけです。
あらかじめ「憲法9条死守」で共闘が絶対に不可能というのは御都合主義です。
最後に袋叩きにあうでしょうが、とんびさんの投稿について。
ひとつめは日本国内において「共闘できない相手」をビン・ラディンや金正日に例えるのはたとえわかりやすくするための比喩でも「ちょっとなあ」と思いました。(こういう「極論」に該当するような団体ってあるのか?) 私自身は例えば朝鮮総連が「何か協力させてほしい」と言ってきたら協議には応じるべきだとは思います。
ふたつめとして、ひとつめと矛盾するかもしれませんが「護憲運動」ならまあともかく、国際的な運動で場合によってはビン・ラディンや金正日といえど協議して批判的支持をしなければならない不幸な事態が将来に渡って完全に排除できない可能性すらあると思っています。 例えば、杞憂で終わればよいのですが極めて近い将来アメリカ・イスラエル・トルコがイランを核攻撃する具体的な計画が切迫しているとする見方が正しい場合(あるいは実行された場合)などです。
http://www.parc-jp.org/main/a_project/theme/kitazawa/kitazawa060109
なお、新社会党から共産党の共闘拒否に対する声明が出たので貼っておきます。
http://www.sinsyakai.or.jp/html/seimei/seimei.html#060127