立川自衛隊官舎ビラ入れ事件の逆転判決、杉並公園反戦
落書き事件の有罪確定など、このところ国家権力と一体となっ
た司法の反動化が目立つ。
そしてそれら反動判決が出るたび、闘う側の萎縮が目立つよ
うになった。
ところがある資料作りで、書籍を読み直したり、インターネ
ットで調べると何のことはない、今日現在の反動判決や警察の
不当逮捕など、まだまだホンの些細な出来事でしかないことが
分かるのだ。
こんなもので「萎縮」したり「恐怖に震える」なんて、やは
りどう考えても「10年早い」のである。
さて、殆どの人が学校で習った記憶のある「鉄血宰相ビスマ
ルク」、ドイツ皇帝からプロイセン・ドイツ統一を託されたこ
の男は、1862年有名な「社会主義者鎮圧法」を制定した。
この法律は権力が、公安を害するような方法で国家ないし、
社会秩序の破壊を目的とする社会民主主義的、社会主義的、も
しくは共産主義的傾向をもった団体や、集会、出版を禁止し、
これに違反した者には追放、禁固、罰金の刑が科せられ、さら
に社会主義運動の強力な地域に戒厳令を敷く権限が各邦政府と
地方自治体に与えられた。
発布されるとこれまでの合法的政党でも、政治活動は国会の
議員活動に限定され、政治機関紙も発禁とされた。
この法律はビスマルクが失脚するまでおよそ30年間社会主
義運動を弾圧したのである。
しかしだ、ここからがまた面白い。この法律は返ってドイツ
の社会主義者・労働者・社会主義政党や共産主義政党をより「
鍛え上げる」事になったのだ。
あの有名なドイツ社会民主党・SPDはビスマルクの死後、
ヨーロッパ最大の社会主義政党に成長する。
年間150件程度だった労働者のストライキは1000件ま
でとなる。
弾圧はより強く粘り強い闘いを成長させるのである。
この結末にヒエーッと驚く間もなく、今度はこの国、日本の
明治維新以降戦前まで施行された治安立法関係の一覧表に目を
奪われた。
治安維持法、軍機保護法、国防保安法、出版法、治安警察法
、新聞紙法、国家総動員法、言論・出版・集会・結社等臨時取
締法等など約20件の法律が作られている。
これら法律が大日本帝国の基礎となり、国民を縛り上げ、侵
略戦争へ、そして崩壊へと導いたのである。
更に私たちの視線を少し横にずらせば、隣国・韓国の労働者
と学生の命を賭しての闘いが、目に入る。
戦後、解放のあと、彼らは私達が殆ど経験したことのない様
々な闘いを組織し、決起弾圧を受けた、また朝鮮戦争で300
万以上の肉親を失い、その後も朴独裁政権の下、困難な闘いを
継続した来た。
これが今日の闘う「民主労総」の姿であり、彼らと連動しそ
の最先頭で闘う学生なのだ。
今私たちの前には、国民投票法、共謀罪法、教育基本法改悪
、そして改憲と反動的法案が目白押しである。
しかしこれでも本格的戦争にはまだ不足なのだ。
かつて私たちは有事3法が上程された時、国会前を大体列で
練り歩き、お互いエールを交換した。
だが今、私たちはこの程度の闘いすら、取り組めていない。
時間はない、しかしまだあせる事はない。まだ私たちには「
社会主義者鎮圧法」もなければ「治安維持法」もかけられてい
ない。
2・11から3・20イラク、そして卒入学式の闘い、3・
31教基法を闘い、国会包囲の闘いに攻め上ろう。