ヴィッキーさんへ。ご指名なので回答しておきます。
>このかん、新左翼党派の「内ゲバ」が非難されている。むろ ん、「左翼内部の内ゲバ」一般については、いかなる意味でも 弁護するべきではないだろう。
『「左翼内部の内ゲバ」一般については、いかなる意味でも 弁護するべきではない』との言説、まことにその通りだと思い ます。
>が、その場合、そうした「内ゲバ」にはかつて日本共産党も 手を染めていたということを指摘しなければならない。
『「左翼内部の内ゲバ」一般については、いかなる意味でも 弁護するべきではない』に賛成している私は、日本共産党の過 去の暴力にも当然反対です。
>そうした過去の左翼内部の暴力事件を真に根絶するためにこ そ、柔軟な統一戦線を構築して、そのなかで過去の誤りを根絶 していく以外にないのではないか?
1月3日の私の書き込みを引用しておきます。
『革マル派、解放派、中核派などは自分と意見の違うグループ に暴力をふるうことを自党派の戦略の重要な一部と位置づけて います。
この戦略が放棄されていない以上、現在はたまたまそういう 事態になっていないだ けであって、いつ開始されるか分かったものではありません。 』
どんな市民運動にも意見の対立はつきものです。この意見の 対立を分裂ではなく共同の行動に結びつけるには参加者が自分 の意見を自由に言える雰囲気が欠かせないと私は思います。
「自分と意見の違うグループに暴力をふるうことを当然視す るグループ」が参加して自分の意見を自由に言える雰囲気にな るでしょうか。
確かに「自分と意見の違うグループに暴力をふるうことを当 然視するグループ」と同じ意見の持ち主は別になんの不安も感 じないでしょう。
しかし統一戦線に参加する人は「自分と意見の違うグループ に暴力をふるうことを当然視するグループ」と同じ意見の持ち 主ばかりではありません。
こういう人はいつ暴力をふるわれるかという不安を感じなが ら意見を言うということになりかねません。こんな状態で統一 戦線が広がるか極めて疑問と言わざる得ません。
>「排除」一般は、決して左翼内部の暴力事件を根絶すること にはつながらない。人間には「変革の可能性」というものが存 在するのではないか?
「変革の可能性」というものが存在するかどうかという一般 論で言えば存在するでしょう。
ただし、いつ発揮されるか定かでない「変革の可能性」に賭 けるより、「自分と意見の違うグループに暴力をふるうことを 当然視するグループ」に暴力をふるうことを放棄したと公式に 表明させる方が安心です。
ヴィッキーさん。「自分と意見の違うグループに暴力をふる
うことを当然視するグループ」に暴力をふるうことを放棄した
と公式に表明させることに対して賛成ですか。
それとも反対ですか。ご意見をお聞かせ下さい。
>なお、「中核と革マルの内ゲバ」については、スカンジナビ アさんが引き合いにだしていた第四インターも、かつて『革命 的暴力と内部』という小冊子で「内ゲバを最初に仕掛けたのは 、革マル派」と指摘しているということを、ここで付け加えた いと思う。
『「左翼内部の内ゲバ」一般については、いかなる意味でも 弁護するべきではない』と言っておきながら、『「内ゲバを最 初に仕掛けたのは、革マル派」と指摘しているということを』 持ち出すのはどういう意味があるのでしょうか。
まさか中核派の暴力は良くて革マル派の暴力は悪いなど言い 出さないとは思いますが。
ヴィッキーさん。良かったら私の疑問にお答え下さい。