1月18日付けの寄らば大樹の陰さんの民主主義論を読んで、その奇異な主張に疑問を持ったのでレスします。また、24回大会の欄の1月22日付の・・<日本共産党闘争小史>を読んで・・という大樹の陰さんの投稿とあわせて読むと、大樹氏の真意が透けて見えてくるようなので、併せて議論します。
1、 まず、そもそも論から言えば、日本の民主主義は他の先進国と比較すると、憲法レベルではほぼ同程度のレベルの民主主義が規定されていると思う。この点は、GHQの英文和訳憲法と言われるように、その当時の西欧先進諸国の最良の部分を収集・考慮したもので、一定の進歩的良心的な内容を含んだ憲法だったと言えよう。憲法九条に見られるように平和主義の面では、世界をリードする内容をも含んでおり、全体としては今でも、世界的に見ても優れた内容となっていると思う。
この点に関しては異論は少ないと思うが、大樹の陰氏はどうだろうか?大樹の陰氏は憲法論から見た日本の(それは未実施のまたは未達成の部分をかなり含んでいる)民主主義論に敢えてか故意にか、決して触れようとしないように私には見える。
大樹氏は、現状の民主主義の欠陥のみを列挙し、結局は階級闘争の前に、民主主義否定を合理化しようとする結論を導くための手法のように感じるのは私だけではないだろう。
・・私は戦後一貫して政権についてきた保守自民党政権の元で、(一部は反動化したGHQの命令で)これらの憲法上の優れた民主主義の規定が大幅にサボタージュされ、スポイルされてきた結果としての、偽装民主主義または半民主主義体制が現状の日本の民主主義のゆがんだ姿だと思っている。
例、公務員のスト権が認められない。他の先進国ではありえない。
また、警察・消防関係でも労組があるのが普通である。
例、民主主義の根幹を成す選挙において、1票の格差が非常に大きい。これも他の先進国ではありえない。
例、選挙の自由が大幅に制限されている。また、日常の表現の自由に対する制限も大きい。いわゆるビラ配りの逮捕である。
例、九条がありながら、世界2位の軍備を誇る軍隊をもっている。
等々・・
従って、国民生活に民主主義を取り戻す運動は現憲法を守り、その内容・精神を忠実に実現・実施していくことに主眼があると思っている。もし、そういった議論に反論・異論があるなら大樹の陰さん、どうぞあなたの真意を披露しながら反論・異論を展開してください。
2、大樹の陰氏が取り上げた戦前の市川正一の<共産党闘争小史>は私も学生時代に読んだことがある。(もうすっかり忘れていたが)
大樹氏の引用を見てみる。氏がどこに注目し何を言いたいかがわかるだろう。(この小史は戦前の<共産党事件>で逮捕公判中だった市川氏の代表陳述のひとつ)
・・・共産党がプロレタリアの党たることは次のことを意味する。
第一、・・・
第二、共産党は労働者階級の前衛であり・・
第三、共産党はブルジョアの規律、現在国家の法律に服従するものではなく、これに敵対するものであり、国際的プロレタリアの規律(中略)にのみ服従し拘束されるものであること、すなわち共産党がブルジョアに対して非合法であるのは、全くプロレタリア階級本来の性質であり、自国のブルジョアに反抗して万国の労働者が団結することは、いずれの国のプロレタリアにとっても無条件の信条である。・・・
そして、この引用に続き、大樹氏曰く、
・・この党史は現在でも十分に通用するものと思う、情勢はより厳しい。・・・とさりげなく!(さりげなく!)続けている。
さりげないが、大樹氏の主張が込められている大事な部分だと思う。このような時代認識では戦前のファシズムと、戦後の民主主義(半民主主義だが)との区別など全くなされていない。しかも驚くことに・・情勢はより厳しい・・のだそうだ。
それなら、現在の民主主義などは、戦前のファシズム体制よりも厳しい、ブルジョアのつくった勝手なルールで、そんなものに従う必要など無く、さらに労働者階級本来の性質によれば、非合法なのが当たり前なのだから、前衛党が非合法活動するのも当然なのだ、ということになろう。
現に中核も革マルも革命軍などという非合法部門をもち、お互いを反革命とののしって殺人や傷害を繰り返してきた。
大樹氏によれば、これらの活動は当然のことであるということだろう。(銀河氏は中核の立場からハッキリ正当化した)ただ、中核と革マルと革労協のどれが真の前衛なのかが問題となるだけなのだ。
(そのほかにも前衛候補があるならハッキリとしめしてはいかが?) ハッキリとは言わない奥歯にもののはさまったような言い方をしながら、さりげなく徐々に以下のような結論を導こうとしていると思うが大樹さん、いかがですか?
・・現在の民主主義などは只の幻想かまやかしに過ぎず、階級闘争の中では(プロレタリア独裁のもと、)否定されるべきもの、ないし、一時的な中断・断絶が展望されるものであり、真の民主主義とは、貧富の差の無い(つまり、共産主義社会)においてのみ実現されるものであるから、現在の民主主義の一時的な否定・中断・断絶などは問題にならない些末なことである。(氏のプロレタリア独裁)その武力が伴う期間もどこかの政党の議長氏が言うように200年も続くわけが無い。ごく短期間である。(これは大樹氏の勝手な予測。根拠もなにも示していない。まあ科学的と言われる天気予報でも今年は暖冬と予測して見事にはずしたが)・・
今までの大樹氏の投稿を読み進めていくとほぼ以上のようなものだろう。
3、そして、いかに現在の民主主義がまやかしのものであるかという証拠として、1月18日の投稿での民主主義論を論じているのです。
もちろん私も、現状の民主主義は半民主主義ないし、偽装民主主義であるし、しかし、それは現行憲法上の規定がそうなのではなく戦後の保守自民党政権のサボタージュと大幅なスポイルによるものであって、現憲法上の規定どおりに民主主主義を実施する運動を展開するべきであるとの立場だ。
以下は次回とします。