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再度新社会党との共闘拒否について

2006/02/04 風来坊 50代 自営業

 1931年、ナチスは、当時ドイツ社会民主党の牙城であったプロイセン政府をワイマ-ル憲法の「人民投票制度」を悪用して、更迭しようと試みた。
 コミンテルン指導下のドイツ共産党は、当初、この人民投票に反対の立場を表明していたが、1931年7月31日、突如として、ブラウンとゼウ゛ェリングに対し、自分たちの要求を認め共産党と統一戦線を組むか、さもなければ、自分たちは人民投票に参加するという最後通牒を突き付けた。そして社会民主党がその提案を拒否すると、共産党はファシストの人民投票に参加することを決定した。テ-ルマン指導部は、この人民投票を「赤色人民投票」と呼んだ。(投票用紙に色が着いているか?)こうして、ナチスと共産党が一緒になって、人民投票キャンペ-ンを展開することは、ファシズムに反対する人民の士気を喪失させ、ナチスの政治的影響力の拡大させる結果をもたらし、反ファシズムの闘いに取り返しのつかない打撃を与えた。部落解放同盟を理由とした新社会党との共闘拒否は、この時の最後通牒を突き付けて、相手が応じなければ、共闘を拒否するという手法は、この時と同じ誤りの繰り返しとしか思えない。・・・(文字化け)・・・。その問題点を共闘の場では持ち出さないことを共闘の条件にし、相手組織にその統制に責任を持つことを確認させれば共闘の妨げにならないと思う。それでも、その組織が統制に服さないならば、排除すればいいのではないだろうか。