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人間は戦わなきゃいけないのか?寄らば大樹の陰様

2006/02/10 ロム3

 人間は戦わなきゃいけないのか?と、このごろ私は考えるようになりました。

 「寄らば大樹の陰さま」に真っ向から反対する考えです。
 戦ってなにかいいことあるのか?あるような気もするし、ないような気もする。

 自分自身とたたかわなきゃいけないことは、よくわかります。
 怠惰にながれてだらしなく生きていたら、ろくな人間にならない。
 食べたいだけ食べていたら、でぶちんになる。

 でも人間、環境しだいでは、だらしなく生きることを拒否して勤勉に生きることが楽しいという人もいます。世界一をめざして、うまずたゆまずスケートの練習をしている人もいる。彼らは、つらい戦いを毎日しいられているばかりではあるまい。きっと毎日の自分の成長を楽しんでいるのであろう。自分のわざが伸びないときは、苦しいだろうけれど。

 戦いというのは、相手に勝とうと思うからくるしいのだろう。実力がないのだから、別に負けてもいいと思えば、苦しくはないと思う。
 日本はアメリカに負けたけれど、負けてよかった。と、思う人が大部分だと思う。あの戦争で日本が勝っていたら、日本人をはじめと して世界中が不幸だった。と、誰しもが思うだろう。

 競技は別問題にして、人間は相手に勝ちたくて争うのだろうか、そうではあるまい。相手に自分の窮状を理解してもらいたくて争うのだと思う。常に理解しあえる関係であれば、争いは無いはずだ。

 そもそも生物は、弱肉強食である。強いものが弱い者を食べて生きている。弱い動物は腹の空いた強い動物のそばに行くと食われてしまう。弱い動物はそのことを知っていて、強い動物から逃れることを常に考えている。しかし、家畜は、人間に食われることを知らないので、人間を慕っていて、食われてしまう。

 人間と、人間の関係も人間と家畜のようなものだろうか。資本家がいないと、労働者も資本主義の恩恵には浴せない。しかし、生かさぬように殺さぬように上手に搾取されている。

 そこから抜け出すにはどうしたらよいのか、私にもよくわからないのだが、株主資本主義がひろまって行けば、労働者、即資本家という状態にならないだろうか。

 最近、結果の不平等は、仕方ないが、機会の不平等は、無くすべきだと自民党議員も言っている。とすれば、相続などはなくすべきだし、お金がなくても学校に行ける社会にしなければいけないと思う。
 一代かぎりの金持ちだったら、人間はそんなに大欲をかく必要はないのではないだろうか。

 その程度の要求ならば、たたかいなどとおおげさなことを言わずに国会の討論で通るのではないかと思う。多くの人は平和が好きだ。
 平和、平和という割に左翼の人は、喧嘩ずきなので、戦い、戦い、と言いすぎて選挙に負けてしまうのだと私は考えている。

 本当に平和が好きなら、戦いというよりは、理解しあおう。と、言ったほうが、選挙に勝てると思うのだが。