共産主義者と社会民主主義者を区別する分水嶺は、戦争政策に反対するかどうかにある。これを共産党指導部は、忘れているのだろうか。
例を挙げて見よう。
1919年9月フランクフルト地区集会での演説
「もし、私達がフランスやその他の国の兄弟を殺す武器を取れと命ぜられたら、断固として"否"と答えよう。」
1916年4月ユニュウス・ブロシュ-レ
「しかし、現在ヨ-ロッパの大地にくりひろげられている帝国主義的野蛮の狂乱は、いま一つの作用をもたらしたが、そのことについて"文明世界"眼を見据えることもなく、傷心の胸を痛めることもしなかった。それはヨ-ロッパのプロレタリア大衆の大量の死滅である。これほど大規模に全国民層を根こそぎにし、ヨ-ロッパの偉大な古い文化をもった国々を全部巻き込んでしまった戦争は、この一世紀以来ありえなかった。幾百万の人間の命が、フォ-ゲゼンで、アルデネンで、ベルギ-で、ポ-ランドで、カルパチアで、サ-フェで殺され、幾百万人々が不具者・廃人となった。だがしかし、これらの幾百万の人間の十分の九が都市や農村で労働する人民なのだ。鎌で草が刈りとられるように、日々そこでなぎ倒されてゆくのは、私達の力であり、希望なのである。それは国際社会主義の最良の、知的なよく訓練された力であり、現代労働運動の神聖な伝統の担い手、大胆な英雄精神の担い手であり、(全世界の)プロレタリア階級の前衛隊である。いま次から次へとなぎ倒され、撃ち殺されていく者は、イギリス、フランス、ベルギ-、ドイツ、ロシアの労働者達である。これらのヨ-ロッパ先進諸国の労働者達こそは、社会主義への変革を実行すべき歴史的使命を帯びているのだ。・・・・この大量殺戮は先進的文化諸国の労働人口を、婦人、老人、身体障害者に置き換え、その放血は労働運動を血潮を浴びて死滅する脅威にさらしている。・・・・それは人類の未来を胎内に宿し、それだけが過去の貴重な財宝を、より良い社会へ救っていく力に対する死の一撃である。ここに資本主義は自分自身の死のどくろを装い、もうこれ以上存続することが、人類の進歩に役立たないことを暴露している。略
株式配当は上り、労働者は倒れる。そしてその度毎に、未来の闘士の一人が、革命の兵士の一人が、資本主義のくびきからの人類の救済者の一人が、墓に消えていくのだ。
ドイツで、フランスで、イギリスで、そしてロシアで、労働者達がついにその陶酔から目覚めて、互いに兄弟として手をとりあい、そして資本主義のハイエナどものしわがれた声の叫びを、"万国の労働者よ、団結せよ!"という昔懐かしい力強い労働者の"カチドキ"で圧倒し去ったとき、その時初めて狂気は止み、血まみれの地獄の亡霊は消え去るのだ。
戦争政策に断固として反対する、この共産主義運動の出発点さえ、共産党は、忘れてしまったのだろうか。