風来坊氏の「安保条約下での自衛隊活用なる妄言につい
て」の論評を拝読いたしました。
たしかに安保条約下での自衛隊は米軍の補完部隊として組み
込まれた存在であります。
そして、憲法9条の制約のもと、直接戦闘に参加はできない
ものの、イラクの地にまで後方支援部隊として投入され、特に
航空自衛隊の場合、一般に知られていないが、後方支援活動そ
のものである兵員や武器弾薬の輸送に従事していることは重大
な事実であります。
米軍の補完部隊としての自衛隊、日米共同作戦体制に組み込
まれた自衛隊、これが安保体制の下の自衛隊の実態であり、こ
の実態を肯定することは到底できません。
しかし、安保条約が将来において民主連合政権が実現し破棄
された時にあっても、自衛隊という違憲の存在、自衛のための
「最小限の実力組織」としての自衛隊は存続し続けるでありま
しょう。
なぜなら、考えられる将来において常備軍がまったく不要に
なる国際情勢が実現するとはリアルな立場に立てば考えられな
いからであります。
世界同時軍備放棄が実現することとなれば別でありますが、
核兵器という残虐兵器を廃絶することすら国際社会はその見通
しを立てるにいたっていないのであり、ましては通常戦力とし
ての常備軍を全廃することは現在の時点では「抽象的な可能性
」の世界のこととしか思えないのが現実であります。
民主的政府のもと、安保体制から離脱し、米軍の指揮系統か
ら切り離され、そして国家公務員の集団としての政治的中立性
を自衛隊の組織原則として確立し、民主的政府の平和憲法にも
とづいた平和外交のもとで自衛隊の縮小と軍縮に取り組んだと
しても、自衛隊そのものは存続せざるを得ないでありましょう
。
なぜなら、そのような未来においても軍事力は国際政治にお
ける大きなファクターであり続けることはほぼ確実であること
が予想されるからです。
実際、今「中国脅威論」なるものが喧伝されています。私も
米国や日本の反共勢力の唱えるような意味での”脅威”である
とは中国のことは思いませんが、チベットを武力併合したり、
ベトナムへ大軍を投入して侵攻を行ったり、平気で日本の領海
内に中国の潜水艦が大手をふって通ったり、また東シナ海の海
洋資源を独占しようとしていることなどすべて誰も否定できな
い客観的事実であります。
私たちはこの事実に目をつぶってはいけません。
党中央は中国の当面の国家政策の課題は経済建設が中心であ
り、そのためには百年の計で平和な国際環境を望んでいるなど
とリアルティに欠ける情勢認識を唱えているようですが、天安
門事件の時は「鉄砲政権党」などと正しくあの国を見て批判を
おこなっていたのに、なぜ今、あの当時と同じ体制下にある中
国を理性的な国に変化したような対応をしているのか、まった
く理解に苦しみます。
さて、このような国とわが国との間に将来起こりえるあらゆ
る問題や軋轢を100%の確立で、すべて平和的な外交交渉と話
し合いで解決できると言い切れるでしょうか。
これはリアリティに欠ける非科学的な考え方であり、中国が
武力やその威嚇によってわが国との間におこった問題の解決に
乗り出す可能性は否定しきれません。
このようなときに実力組織としての自衛隊を活用することは
国際法でも認められた自衛権の発動であり、正統性をもったも
のと考えます。
ゆえに、自衛隊の活用そのものは民主連合政権が樹立され、
わが党が国民の生命と財産の安全に責任を持った立場に立たさ
れるときには避けて通ることができないものであると思います
。
そればかりか、民主連合政府樹立以前にあっても避けられな
いこともありえましょう。
たしかに、第一次世界大戦の前夜に軍備増強と戦争政策に反
対するか否かが、共産主義者と日和見主義者(社会民主主義勢
力)とを分ける分水嶺でありました。
しかし、これは帝国主義国家間の略奪戦争に対して問われた
ことであり、現代における国家の自衛権の正当な発動をも妨げ
るものではないと考えます。