私は革マル派から脱落した改良主義者・社会民主主義者
である。革マル派とは、警察・自衛隊などの対権力観で決定的
な相違があった。革マル派は中核派から反革命ファシスト呼ば
わりされる党派であり、その中でも私は非革命の立場しか取れ
なかった。
大切なのは改善や改良であって、革命なんぞ何回やっても人
の心が濁っていれば同じであることは、中国、ロシアでも明ら
かだと思う。
経営者などなって心労が増え責任が重いばかりで、何の得に
もならないのはJRの事故の時でも明らかだ。企業経営などボラ
ンティアをするくらいの自己犠牲の気がないと勤まらない場合
もあると思う。一般の従業員でいる方が得な場合だってある。
もっとも今の東京では革命を起こす気でせいぜい改良が関の
山だろう。尾崎行雄のように、石原慎太郎を顔面蒼白させるよ
うな演説をぶつ政治家が今の東京にいるのかというと心もとな
い。今の朝日・毎日を含む全テレビ局で細木・石原のバックラ
ッシュ演説を見ていると、本当にこの国で1960年や1968年、1970
年などという年があったのかと思えてくる。
最初から権力と妥協する気では、バックラッシュしか来ない
ように見える。思想が戦中に戻るだけだ。国体護持・国体明徴
声明に対抗するためには、革命を起こすくらいの気でないとダ
メなのだろう。
毎日・朝日を含むマスコミは全て小泉・石原・細木の味方な
のだから、今のテレビは戦時中の翼賛マスコミのプロパガンダ
と一緒である。たとえ革命を起こすこと自体が無駄だとしても
、日本の思想がここまで国粋的で反動的になってくると、本当
に1960年くらいやらないと五分五分にはならないように見える
。