3月1日付けの投稿を読みました。
「僕にだけそう厳しく言わないでくださいよ」ということですが、弱音をはかずに元気をだしてください。
第一に、人文学徒さんや元横浜市立大生さん以外のご意見にはほとんど関心がありません。その理由は主観的なので省略。
第二に、社会的な発言、とくに政治的な意見には責任がともないます。批判や非難の対象にもなります。サイト発言では、悪意にみちた袋だたきにあうことも覚悟する必要があります。
それにくらべれば、ずいぶんとマシ、マシ。めげずに元気をだしてください。
「新党構想」について、「提示が不十分」とのご指摘。ごもっともです。1月2日付けの投稿でふれたように、「『さざ波通信』にはなじまないテーマかもしれませんが、一石になればと一端を述べ」たもので、「構想」というのもおこがましい代物です。
というのも、このサイトの趣旨を尊重して「一端」にとどめたからです。
では、「構想」があるのか。
基本的なものはできています。しかし、その全体を紹介するのは上記の理由から遠慮しておきます。
同日の投稿では、新党をつくるうえで「人手も資金もすくない方法」があると述べました。お気づきのとおり、インターネットの活用です。
問題は本格的な「新党サイト」を立ち上げようとすると、あるていどの初期資金、サイト作成の専門技術(意見の分類、集計、投票システム)、サイトを管理運営するノウハウ(迷惑投稿・者の削除や排除)が必要となります。残念ながら、いずれも持ちあわせがない。
そこで、本格的な「新党サイト」を先送りして、ホームページ的なもので意見交換しながら賛同者をつのる、ということも考えています。
ただね、いままでの経験から、何ごとかをはじめてしまうと、けっこうしんどいのですよ。本音では助言ぐらいがふさわしいとおもっています。
「『さざ波通信』のアクセスを増やし合いましょう」ということですが、同感とはいえ無理でしょう。「増やしましょう」と唱えれば増えるものでもありません。このあたりが人文学徒さんの甘さですね(またまた失礼)。
サイトを利用しておいて管理者には無礼ですが、すでに『さざ波』の役割は終わったのではないか。
共産党の批判という面では一定の役割がありました。しかし、批判では宮地健一氏のホームページの方が総合的であり、理論的です。
批判から出発しての共産党改革では、宮地健一氏・『さざ波』ともにみるべきものがありません。これはとうぜんの帰結なのです。党内外の批判に耳をかさない「体質」がある以上、何をいっても意味がない。とくに、党外の人は改革の主体にもなれない。
2月13日付けの投稿でも述べましたが、「いまほど、共産党を批判することが容易な時代はない」。批判だけの自己満足では、その先がないのです。
出口のない迷路なのですから、共産党改革を標榜するサイトが衰退していくのはあたり前のことです。