思いつくまま書きますので、論証不足はお許しを。
戦前から戦後のある時期まで、マルクス主義=ソ連型社会主義という固定観念があり、共産党を名乗る党が政権を取った国を美化する傾向が日本の共産党にもあったし、それは当時の党の方針や政策に影響を与えている。
しかし現在旧ソ連や中国が理想的な社会だと思っている日本共産党員は皆無だと思う。
70年代には『自由と民主主義の宣言』を出して三権分立や議会制民主主義といった欧米社会が資本主義の発展の中で発達させてきた市民的政治的自由を積極的に継承すべきものと宣言している。また90年代には社会主義の学説と運動と体制の違いを主張している。たしかにソ連は客観的条件(遅れた政治経済、低い教育水準、干渉戦争・・・)と主体的条件(指導部の戦術や政策)によってあのような独裁的な国となった。
民主主義の制度が無ければ武力や財力、人脈を持つものが権力を牛耳るようになる。それは現在の中国にも基本的に当てはまると思うし、体制の如何を問わず多くの途上国で見られる現象だ。かつては日本もそうだった。(今もあまり民主主義は強くないが)そう考えるとマルクス主義=ソ連型社会主義=独裁的という意見には賛成できない。まだ『資本論』を途中までしか読んでいないので偉そうなことは言えないが、マルクスは資本主義の歴史や仕組みについて分析・研究したが未来社会の予言をそれほど具体的にはしていないと思う。私の記憶にあるのは『ドイツイデオロギー』の『朝に狩人、夕に哲学者である可能性』とか、『資本論』第一巻の『資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。』といったような断片的文学的なフレーズのみである。
重点はあくまで資本主義社会の分析と御用イデオロギーの批判である。また、ソ連型は成果よりも否定的側面が強いが社会民主主義型は問題はあるにしろ市民的政治的自由や経済的発展、社会保障の点で成果が多い。
社会民主主義の諸党と共産党は第一次大戦の評価を巡って分裂して以来、時期や国によって激しく対立した歴史もあるが戦前のフランス・スペインの人民戦線政府やスウェーデンの社民党と左翼党(共産党)の連合政権の経験もある。
いずれにしても社会民主主義はマルクスの学説と関係が深い。
マルクスの学説のその後の発展は多様であって生産手段の社会化の方法も国有化、経営委員会、協同組合方式・・・等々、考え出されてきたと思う。
ソ連型国営化のみが社会化ではない。そんなわけで多くの日本共産党員は市民的政治的自由が保障された、しかも経済的搾取が無い自然と調和のとれた豊かな社会を目指していると思うが、それは今後の改良の積み重ねで出来上がっていくものであって、既に出来上がった設計図は無いと思う。最後に党内の雰囲気だが中央偏重の雰囲気はまだあると思うが、それではもう動かなくなっているのが実情ではないか。私について言えば、上意下達で動く気はしないが、さりとて他によりマシな政策や運動を展開している政党があるとも思えないので、離党するところまではいかないという日和見主義者だ。今の政党配置を考えると、より幅広い左派、リベラル派の共闘を願いつつ、やってもいいと思う範囲の党活動をしている。