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不破氏の「資本論」について

2006/04/29 山椒魚 60代以上 団体役員

 はじめて投稿します。

 いま私の机上には地元の市立図書館から借り出した不破哲三氏の「マルクスと資本論」全3巻、「エンゲルスと資本論」上下2册と「レーニンと資本論」の1、5巻(それ以外は貸し出し中)の合計7册がある。「レーニンと資本論」は全7巻だから不破氏は「資本論」に関して合計12册、定価26、400円、6、000頁を超す大冊を書いたことになる。そしてほかに「『資本論』全三部を読む」( 代々木『資本論』ゼミナール・講義集 全7冊)があるのだ。
 流刑、亡命、ないし獄中生活を送っているなかでというのではなく、これが現職の日本共産党議長在職中の仕事なのだからタダごとではない。
 これらはいずれも不破氏の「個人的な著作」のようで党の公的任務として書かれたものではなかろう。それとも重要な党活動の一つとして正規の党機関で承認・決定されたものだ、というのだろうか。
 しかも各巻の「はしがき」には臆面もなくそれらの出版は党創立記念日とともに彼の妻つまり七加子夫人との婚約ないし結婚何周年の記念すべき年にあたるなどとぬけぬけと書いているのである。
 ところで、このような大冊が果たして日夜末端で苦闘している党員にとって有益な内容と言えるだろうか、またこれらの党員がその全巻を手許に揃える資力があり、かつこれを讀み通す時間があるとこの著者は考えているのだろうか。
 マックス・ウエーバーは『職業としての学問』のなかで「とにかく、自己を滅して専心すべき仕事を、逆になにか自分の名を売るための手段のように考え、自分がどんな人間であるあるかを『体験』で示してやろうと思っているような人、つまり、どうだ、俺はただの「専門家」じゃないだろうとか、どうだ俺のいったようなことはまだだれもいわないだろうとか、そういうことばかり考えている人、こうした人々は、学問の世界では間違いなくなんら「個性」のある人ではない」といっているが、これは不破氏にたいするまさにうってつけの指摘といえまいか。
 それに、どうみても不破氏のこれらの著作の水準ははアマチュア研究者の域を出るものではなく学問的批判にたえるものではないだろう。
 不破氏を学生時代からよく知る友人の原論学者o君に「鳥なき里のコウモリということかな」と電話で話したら「全く同感だ」という返事がかえってきた。本部勤務員その他を前に得々として「講義」する神経がわからない、やるなら内外の資本論研究者に呼び掛けて公開討論の場を設けたらどうだ、ともいっていた。
 また、在野で独創的な国家論研究をいまも続けているT君は「『資本論』全三部を読む」を「論語読みの論語知らずだな」と一刀のもとに切り捨てていた。
 数万冊の蔵書をおさめる書庫をもち、料理人、運転手、防衛各二人を常駐させているといわれる山荘から本部へ向かう車の中で「資本論」に読みふける現役の政治家などというものがほかに一人でもいるだろうか。(つづく)