ずっと読み返していたら3月27日のお返事にお返事しよう と思い立ちました。
まず、民主集中制ですがあなたが批判する「党の運用実態」
が実はこれの本質だということを言いたいんです。
その最悪の特徴はあっけないくらい何気ない言葉になってる
んです。「党内問題は外へ出さない」。党方針と違うものを所
属支部以外で語れば除名にできるという規則です。いわゆる大
衆はもちろん、他の支部所属の仲間一人とこれを語り合っても
いけない。妻や夫でもね。集団で話し合えば即分派です。つま
り政策グループなどはできっこなくて、中央見解に触れる話し
合いが全く育たない仕組なのね。ここから、中央見解、不破見
解の絶対性が保たれるわけ。新日和見主義事件も、原水協も、
民主主義文学事件も、ほとんどみんなこの「分派規定」でやら
れている。「意見がちがうからではなく、組織規則を破ったか
ら処分するのだよ」とね。諸個人はこんなことみんな踏み外し
ている。しかし、中央意見に対するようなものがどこかで育っ
たとき、必ず査問、処分がやられてきた。民青中央とか、原水
協役員や民主主義文学同盟役員である党員仲間とかね。こうい
うことです。中央の絶対的権力の温床ね。
党の末端は一貫した活動が苦手で、うっかりついていくと(
はしご段を外されてて)大変なことになる。だから要注意」と
はまた、貴女本当に内情をよくご存知で。思わずくすっと笑っ
てしまいましたよ。でもこの問題って、よく考えれば極めて重
要な誤りいっぱいの現象ですよね。「党の大衆運動の重点がく
るっと変わる」、「以前の言動に責任を持たない」、「党支部
が大衆組織をよく引き回す」、「大衆の要求にも忠実でない」
などなど。(大衆という言葉は大嫌いですが、今は通じやすい
ので使いました)
こうやって、70年代までの日本人民の遺産を党がどんどん
食い潰してきたということですよね。
最後に貴女流儀のマルクス主義、レーニン主義、弁証法的・
史的唯物論のこと。今日はちょっと長く喋りますよ。
共産党が言う「マルクス・レーニン主義」って、元は「弁証
法的唯物論」のことです。史的唯物論はその「人類史への適用
」とされてきました。ソ連、東ドイツの哲学教科書などが大元
です。こういう哲学教科書的「体系」はマルクスにはなく、レ
ーニンからのものです。ですが、弁証法的唯物論と史的唯物論
との関係は意外と難問で、日本でも世界でもずっと問題提起が
されていました。日本では終戦直後に「主体性論争」というの
がありました。「共産党の哲学は人間不在の客観主義だ。人間
自身の問題を振り返ることがなく、歴史が自動的にこう動いて
いくというのと、どこか違うかね」とね。そしてこの問題に世
界で最も本格的に着手した党が60年代の東ドイツでした。新
しい論争から、新しい哲学教科書ができたのです。そこでは弁
証法的唯物論と史的唯物論とが対等に並びはじめたかと思いま
す。宮本はもちろん不破もその本の内容は理解できないはずで
す。世界の唯物論哲学界の最先端の問題で、英国経験論とかカ
ントとかの素養はもちろんマルクスの生みの親ヘーゲルの素養
すらもない二人に分かるとは僕は思えなかった。つまり、人間
の問題抜きで、史的唯物論を語る先述の客観主義ね。この欠陥
が戦後の党の活動にずっと貫かれていたと僕は考えてきました
。30年近く、ある世界を討論し、作り、実践する立場で悩ん
できましたもの。僕の日記はそんなことばっかりで埋め尽くさ
れてきましたね。
さて、こうして、あなたが言う宮本や不破の唯物論哲学なる
ものは、もともとたいしたものじゃないんです。宮本はがりが
りの弁証法的唯物論者、不破はあなたや原仙作さんが言う経文
読みでしょう。また、宮本路線が70年代まで好調に見えたの
は、何も彼の力ではなく、戦後の日本・世界の諸特徴が彼らの
客観主義哲学に一時合致したに過ぎないのだと、今の僕は考え
ています。もちろん明るい時代の希望溢れた党員の献身が第1
なのですが。ソ連、東欧、スターリン主義の実態はまだ隠され
ていましたしね。
ではまた。