先月26日夜、CS放送「朝日ニュースター」の「ニュ
ースの深層」で筆坂秀世氏が登場してました(司会は評論家宮
崎哲弥氏)。
くだんの本はまだ読んでないのですが、氏の主張は大変よく
分かりました。
ここでも何人かの方が既に指摘されているように、確かに氏
はある意味要領のいい人で、内容的には自己弁明もあるようで
、その点は割り引いて考える必要があると思います。
ただ、氏のいくつかの主張「国民のよりよき生活のために活
動する党であれ」「ソ連崩壊で、一般国民にとってもはや共産
主義は過去のものとなった。党名変更も必要と思う」などは、
外部の者にも斬新で、党の内部で活動していながら党中央には
批判的な立場の人たちにも共感するところのあるものではなか
ったでしょうか?
ところが、党中央を批判し、新しい共産党を目指すと称して
いる一部の方々が、筆坂氏によってあぶり出された党中央--
自己独善で、間違いを認めず、わずかな差異でもって批判する
者を排斥することに汲々としているような、そうした存在と似
た面があるのだから不思議なことです。
私は最近、こちらで積極的に投稿されている何人かの方々が
インターネット上で独自にオープンされている掲示板に投稿し
ました。
ところが、いずれも短時間で削除されるばかりか、一部の方
の掲示板ではどういう仕組みだか分からないのですが、投稿が
できずはじき出されてしまう有様です。
私の主張の何をそんなに恐れているのか、どうも悪意ある中
傷のごとく感じているらしいのです。
滑稽なことには、そうした方々は私の主張への反論の前に、
こちらの「正体暴き」をする癖があるようで、私などは「4人
いる」とか、確かに名前だけは知っているものの投稿などした
ことがない某掲示板で「何々というハンドルネームで投稿して
いまは追放になっている」とか、ある宗教団体の者だろう、な
どとあることないこと指摘されました。
党中央の閉鎖性や排他的な姿勢を批判しているはずの方々が
、実は党中央とそっくりな姿を見せている。
これはいったいどうしたことなのでしょうか?
確かに掲示板にはいわゆる「荒らし」もありましょう。
ただ、批判者は必ずしも悪意ある者ばかりではないはずです
。
そのように考えないで、ごくごくわずかな確実な「同志」だ
けを募って、閉鎖的なサークル活動に終始するのは本来オープ
ンなインターネットでもったいない話ではないでしょうか?
少しでも支持を広げていくべき共産党周辺に、まだこうした
方々がいるということは残念でなりません。
こうした閉鎖的排他的な姿勢は、しかしながらどうも治癒不
能なのではないか、と今回の筆坂氏の主張に対する党中央の「
反論」をみて、感じた次第です。