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つづき

2006/05/04 山椒魚 60代以上 団体役員

 ここで、いま机上にある不破氏の7冊の著書をざっと通読して得た要点の若干をできるだけ簡潔に記そうと思う。
 いちばん鼻もちならなかったのは「再生産論と恐慌」と副題された「マルクスと『資論』」第一巻の「まえがき」であった。
 これによると、不破氏が研究の目的とした「主題」は「マルクスの恐慌論を、その形成の歴史を追い、まだ書かれなかった部分への推測的な展望もふくめて探究すること」で「マルクスの恐慌論を腑に落ちるまで讀みとる」ことだったというのだ。
 そのために不破氏は『五七~五八年草稿』(いわゆる「経済学批判要綱」)や『一八六三~六五年草稿』などを「剰余価値学説史」とともに現行『資本論』と対比しながら永年かかって苦労しながら「全部讀み通した」というのである。現代的な問題意識など皆無なのは無論である。
 『一八六三~六五年草稿』というのは、いうまでもなく全9巻、平均700頁、本体価格95,000円の新メガ版による『資本論草稿集』(大月書店刊)の中に収録されているもので、「資本論草稿集翻訳委員会」によって1994年に全巻完結をみたものだが、不破氏はこれを主として山荘と党本部を往復する車のなかで讀んだというのだ。因にいうと「経済学批判要綱」は氏の鉄鋼労連書記時代、往復の電車のなかで線を引きながら讀み継いだというから大した出世ぶりではある。
 「エンゲルスと『資本論』」下巻には「エンゲルスの編集作業を追体験する」という一節があってそこにはこう書かれている。「マルクスの草稿をエンゲルスがいかに編集したかについて、より綿密な吟味を行い、エンゲルスが讀み落とした点や誤解していた点があれば、それを解明するということは『資本論』研究の当然の課題」で「エンゲルスの編集の過程を自分で体験してみることがどうしても必要だ」というのである。
 「レーニンと『資本論』」第一巻には不破氏が1986年にモスクワを訪問したさいに手にいれたという『レーニン遺稿集』の最新の巻(40巻)のなかに40頁にわたって『資本論』へのレーニンの書き込みが収録されているのを発見してホテルに戻ってロシア語の辞書と首っぴきで自分用の翻訳をつくった、などという自慢話とその内容紹介におおくの頁を割いているが、その評価、意義などには一言もふれていない。こうした資料を私物化して「個人的著作」のタネにするのは彼の得意技といえる。
 いずれにしても全巻すべてその内容はお世辞にも「独創的」などとはといえず、あいかわらず折衷主義的で冗漫かつ平板な解説の域を出ていない。
 結局、これらの著作中に見え隠れするのは要するにエンゲルス、レーニンをさえ超えてマルクスと肩を並べてオレは「資本論」の高峰を踏破したと誇示したいのだ。
 一年間にわたって行われた不破氏の「代々木『資本論』ゼミナール」の最終講義のあとで松本善明氏が「不破さんは現代のマルクスだ」と空世辞をいったそうだが、語るに落ちたというべきだろう。

 エラスムスは『痴愚神礼讃』のなかで「値打がなければないほど自惚れが強く横柄であり、いよいよ尊大ぶり、いよいよ気取るものだから、だれも称讃してくれない時に自分で自分を称讃するのは当然だ」といったが、いい得て妙だといえまいか。
 そのわかき日、不破氏がまっ先に国際派全学連から離脱して悪名高い「51年綱領」を支持して党主流に復帰したことは知る人ぞ知る、その無定見さには定評がある。
 不破氏のこの著作をまれにみる悪書だと断じたい。