風来坊さまから二つの「反論」をいただきました。二つとも読ませていただきましたが、どのような議論の流れのなかからこのような内容の「反論」が出てくるのか、貴兄の意図が残念ながらわかりません。正直言って、風来坊様ほど私は科学的社会主義の原理論について詳しいものではありません。
そしてさらに言えば、民主連合政府と民族民主統一戦線政府との区別と関連についてお尋ねされたことについては関心がありません。
はっきり言わせていただければ、民主連合政府というものすら実現の展望があるのかわからないと私は思っています。
なによりも、この政府を実現させるための統一戦線のパートナーが今の日本の政治戦線の中に見えないというのが冷厳な現実ではありませんか。
ましてや、遠い将来の社会主義社会で資本主義的な搾取がどのように廃止されるのかという問題にはなおさらのこと関心がありません。未来の問題については未来の世代が回答をだしてくるでしょう。
私が主張したいことはただ単に以下のことだけです。
自衛隊の解消と憲法9条の完全実施という民主連合政府がかかげる政策的目標が実現されるためには、まずそのための国民的合意の成熟、そして北東アジアの平和的情勢の成熟などが必要であり、それには長期的な展望と綿密な政治的プログラムが必要とされ、そのような紆余曲折した複雑なプロセスを経てはじめて自衛隊の解消は実現できるであろうといった「展望論」と、もし外敵が責めてきたらどのように対処するのかといった待ったなしの「安全保障論」とは峻別して考えねばならない問題であり、この待ったなしの「安全保障論」の土俵での自衛隊の位置付けについて明確にすることなしには日本共産党は国民的な信頼が勝ち取れないのではないかということであります。
そういう意味で、一時的ではあっても党中央から「自衛隊活用論」が出てきたことは注目に値することではないだろうかと思う次第です。
さらには、「安全保障論」の土俵の上での自衛隊の位置づけを明確にしえてこそ、当面の緊急の政治課題である憲法9条改悪阻止についても、自衛隊の現状を認知している多数の国民とも共同が可能となるのではないだろうかと思っています。
これが私の主張したいすべてであってこれ以上でも、これ以下でもありません。
いずれ遠い将来、民主勢力のたたかいを基礎に統一戦線の政府が国の機構の全体を名実ともに掌握し、反動的な国家機構(自衛隊ももちろん含まれます。)は解消され、行政の諸機構が国民的な立場に立った政策の担い手となる社会が到来すると私は信じたいのですが、いずれにしろそこにいたるまでの全プロセスの中で「安全保障論」という待ったなしの土俵での明確さが要求されることは避けられないでしょう。
これに答え得て、始めて日本共産党が国民的な信頼が得られる政党になりえると思います。