同じ本でも読み方はいろいろなんですね。宮本たけし議員のHPからです。
私は部外者ですから、筆坂さんの本を読んで、素直に党幹部の言い分とどちらが正しいのかという観点から読んだだけでした。でも、当事者の人にとっては、この本がどのように利用されるのか、ということに関心があるんですね。真実について議論することがどうして駄目なんですか?、どうしてこんなに批判されるのか、やはり理解に苦しみます。筆坂さんの本に共感を寄せた人は、「党封じ込め」の策動に乗っているといいたいのですね。だけど、ちょっと被害妄想激しすぎるんじゃないですか?それからっと、「筆坂転落問題」って、まず筆坂さんは犯罪者じゃありませんよ。立派な社会人ですよ。本当は、筆坂、と呼び捨てにしたいところをそれはいまの時代もうできないから、こういう表現考え出したのでしょうね。あのー、失礼ですけどーー、教育基本法改悪に反対してますよね。そこのあなた、あなた子供にどんな教育するつもりですか?教育者は、こういう表現は使わないものです。こんなことばっかしてたら、自民党から「愛国心教育がなかったから、共産党員みたいな誹謗中傷を繰り返す人間が出てきた」、なんていわれかねないですよ。
それからそれから、不破さんの反論で十分って、セクハラの事実する明らかになっていないのに。筆坂さんの秘書たち、どうして離党したり、地方に飛ばされたのすか、一体何があったのでしょう。まだまだ解明すべき問題はいっぱいありますよーーー。
そして筆坂転落問題を利用した「党封じ込め」を打破する積極果敢な宣伝や反撃、あるいは説得の活動を強調するとともに、これにたいする最大の反撃が、来年の政治戦での前進をめざす政治目標を確固としてさだめ、中間選挙、宣伝・対話、綱領や決定の読了、党費納入、党勢拡大などで日々党の前進をはかることにあると訴えています。
筆坂秀世氏は「週刊朝日」の「赤い共産党の黒い内幕」(下)で、「私は『日本共産党』という本を、共産党攻撃のために出したわけではありません。一般党員を攻撃した部分は一ヵ所もないはず」などと述べていますが、昨日紹介した「公明新聞」の「編集メモ」を読めば一目瞭然なように、”共産党つぶし”“共産党封じ込め”を系統的にすすめる支配勢力がこの筆坂氏の本を、共産党攻撃に最大限利用していることは間違いのない事実です。
そして、今激烈にたたかわれている泉佐野市議選の現場では、この「公明新聞・編集メモ」を使った反共攻撃が街頭からやられるなど、ゆがんだ市政と議会を正すために必死で選挙をたたかっている、まさに筆坂氏の言うところの「一般党員」に、いわれなき攻撃が加えられる新たな材料を与えたことも確実です。
いわゆる「筆坂本」なるものについて言えば、この間「赤旗」紙上に発表された不破前議長や浜野副委員長などの一連の論文で決着済みのことですが、筆坂氏が「自分で質問もつくれない議員たち」などと言っているのは聞き捨てなりません。日本共産党議員の質問は議員の個人プレーではなく秘書の人たちの力も含めたチームプレーであることは筆坂氏が自分に関しては得々と語っていることです。
そういうチームプレーに支えられて調査も国会論戦もすすめています。筆坂氏が「衆参両院の多くの議員の質問づくりを手伝った。」などと自慢するのも、それは当時彼が政策委員長だったからにすぎず、議員相互のチームプレーで言えば、私だって多くの議員の質問づくりを手伝ったし、手伝ってももらいました。だからといって、普通の共産党議員は「つくってやった」などとは考えないのです。